【書評】人工知能の核心
人工知能の核心
最近藤井聡太四段の登場によって何かと話題の将棋業界ですが、僕の中ではやはり将棋の棋士=羽生善治さんです。
羽生さんの著書はどれもわかりやすく、思考について学べるので愛読しています。その中で人工知能への言及が最近多くなっているの感じていたので本著の発売はとても楽しみにしていました。
読み進める中で「学習の高速道路」という言葉が気になったので書いていきます。
学習の高速道路化
羽生さんはAIが普及するにつれて起き得ることとして「学習の高速道路」を挙げています。以下引用します。
もう一つ、私が重要だと感じているのは、「学習の高速道路」の問題です。 これはインターネットが登場した頃からよく話していることですが、本質的には将棋ソフトや人工知能についても同じことが言えるでしょう。 もし人工知能のプログラムを使えば、超高速で効率良く学習できるとわかったとします。すると今度は、誰もがそのルートで学んでいくはずです。「高速道路」が目の前にあるのに、わざわざ「一般道」を走る人は少ないと思うからです。
ただ、私が最も強く懸念しているのは、この「学習の高速道路」を走るなかで、大量の情報を得ることに追われて、かえって自分の頭で課題を解決する時間がなくなっていくことです。 実のところ私は、今の若い棋士たちの、未知の局面に出合ったときの対応力が少々落ちている気がしています。
学習にあたり、近道をするということが果たして本当にいいことなのかという問いを羽生さんはここで投げかけています。
要は、皆が皆最適化された道を歩むことで生じる弊害はないのか?ということです。
これは個人的にもここ数年よく感じることで、結局百戦錬磨のベテランの域にはショートカットして学んだ自分の知識ではかなわないということがよくあります。
かなわないといっても全部が全部できないわけではありません。なんなら大枠に関してはほしい結果に対して、文明や技術さえ進んいればできてしまいます。
差が生じるのはどちらかというと細部なのです。
百戦錬磨のベテラン
この記事にとても共感しました。
fromdusktildawn.hatenablog.com
何文か引用します。
新しい技術、新しい分析手法、新しいビジネス手法、新しい開発手法、新しい経営手法のほとんどは、まるっきりゼロから生まれるなんてことはなく、たいていは巨人の肩の上に生まれる。そして、すでに何十年も掛けて巨人の肩の上によじ登り終わったおっさんは、ほんのちょっと手をのばすだけで、すぐに新技術の果実を掴み取れる。これに対してまだ巨人の肩の上に乗っていない若い人は、そもそも巨人の肩の上によじ登るところから始めなければならない。彼らにとって、新技術は、気の遠くなるような彼方にある。
それに、そもそも「技術はすぐに陳腐化するから、おっさんの知識は古くて使えない」というのは、半分本当だが、半分はウソだ。陳腐化してゴミになる知識もたくさんあるが、陳腐化せずに蓄積していく知識も膨大にあるのだ。「いまからシステム開発を始める若い人は、RDB、オブジェクト指向、デザインパターン、正規表現、並列プログラミングなどという時代遅れの知識を学ぶ必要はない」とはならない。
それどころか、むしろ、既存技術を深く理解して使いこなしている人の方が、新技術をきちんと理解し、うまく使いこなすことは珍しくない。NoSQLが流行りだしたとき、それがはっきり現れた。RDBを十二分に使いこなし、そのメリット・デメリット・限界を知り尽くしている人間の方が、NoSQLの意味を素早くかつ的確に理解したし、効果的に使いこなせていた。RDBの理解が浅い人間の方が、そもそもなぜ、どんなところにNoSQLを導入すべきかを見誤ることが多かった。
例えば、家を建てるにしても、石から削って建てる人とお家キット(そんなものないけど…)を使った人では、身につくスキルの幅が違います。
お家キットを利用した人は時間軸の近道はできるものの、いつまでもオリジナルの家を建てられませんし、キットの外の指示が来た時に応用が効かなくなります。
これは自分にも当てはまることで、分析の際、先達のRのコードは使えますが、何かで詰まると解決までものすごく時間をロスしてしまいます。
これは何故この成り立ちでコードが成り立っているかを理解しないまま、作業をすすめているためです。
巨人の肩に手が届いているのではなく、所詮巨人の手のひらに転がされているのです。
学習の一般道をあえて走る
結局ビジネスの現場でこういうことが起きてしまっていると考えると、羽生さんの考える「学習の高速道路」化という問題は既に起きていると言えます。
神は細部に宿るとよく言いますが、日々学習し先人の知恵に少しでも近づかないといつまでもその場しのぎに流行り言葉に流される一方だと思う今日この頃です。
自分の場合、ちゃんと数学とプログラミングを一般道から勉強しなさいよってことですね。とほほ。
僕のちかくからは以上になります。
お化け屋敷に一回ゴールから入ってみたい
最近マンガアプリでよくマンガを読みます。
「紙のジャンプなんてもう重くて読めないわ!」なんて華奢なことを言い始めそうな勢いです。
読んでいく中で、各社キーコンテンツにグロテスクなホラー・サスペンスを置いてることが気になり、ちょっと何個か読んでみました。
実はあんまりグロ系の描写好きじゃないんですけどね…。
見つけた仮説
そして一つ仮説が立ちました。
(´-`).。oO(グロ系の漫画ってなんで読み進めちゃうんだろうって考えたら、ただただオチが知りたいだけね。出口のないお化け屋敷入るのが嫌なのね)
— コマさん (@4GEKI) 2017年7月15日
グロ系のコンテンツはお化け屋敷なのです。
入り口でお化けが登場し、うぎゃーとか言いつつ数々のアトラクションを乗り越え、最後まで行き着きたい一心で読み進めていくのが楽しいのです。
(グロ系作品はその最後が腑に落ちない作品が多いことも分かり始めたのですが…)
そう考えると、連載中なら心配ありませんが、完結作品だとひねくれてる人間は最初と最後だけを読みそうです。
そう、「オチだけわかればいいやー」と言い『ONE PIECE』と『HUNTER x HUNTER』を途中で読むのを辞めたあなたのことです。
一本道にしないこと
単行本であれ、アプリであれ、マンガの話数を読んでもらうことが売上につながります。
つまり、そういうひねくれた人たちに過程を読ませたほうが得になります。
その結果、「え?なんでこいつ仲間になったの?」とか「あれ?主人公死んだの?」みたいな展開が生じることになり、そのような作品のほうが熱狂的なファンが多い気がします。
当然意外性を仕込むだけが全てではありません。
最終的に物語がつながる伏線を張り巡らせることが必要になります。叙述トリック的にする必要はありませんが、最終話を「今」としたとき「過去」が、気になる仕掛けが必要になるということかなと思います。
現に、『ONE PIECE』や『HUNTER x HUNTER』のように伏線だらけと言われてる作品であれば、連載終了後確実に読み返す必要性が生じるでしょう。
そういった作品は、出口までが複雑化しているため、結果として話数を読んでもらえる作品となり、稼げる作品になると仮説立てることができます。
一方書いていて思ったのは『水戸黄門』のような勧善懲悪の「お決まりのパターン」がほしい時もあるよねということです。それに関してはまた今度書こうかなと思います。
僕のちかくからは以上になります。
【書評】終電ごはん
最近食べ物とスポーツと広くとってコンテンツにしか興味ない気がしてきました。分野的にまあまあ稼げる気しないですが、消費経済はなんとか回せそうです。苦笑。
健康でありたい
さてさて、時短×料理に目がない私は話題の『終電ごはん』読んでみました。
最近のトレンドはもっぱら「健康的な暮らし(だけど手はかけたくない)」だなあと思っていて、常に健康的でいたい自分としては喜ばしい限りです。
というのもなんで自炊するかというと、自分の場合単純で外食続くと色々身体が壊れ始めるからです。
片頭痛&群発頭痛持ちかつアトピー持ちで肌弱い、ちょっと食べ方間違えるとすぐ寝込みますし、肌ボロボロになります。
ニキビもできやすくて、ポテチ食べるとすぐニキビできます。
ニキビなんてあってもなくてもたいして変わらない顔立ちですが、自分の心象的にはないほうが心地よい。
そんなら自分で多少の手間惜しんでそういうものが生じにくそうな食べ方をしようとそういう考えでございます。
※外食でも場所選べば大丈夫だと思います。友達少ないと食べるところも限られる。血涙。
食に第三の選択肢の登場?
読んだ感想としては、難しくはないけど、意外と一品一品手かかってるなという印象です。
本当にずぼらな人や料理したこと無い人は真似出来ないかなーと思いますが、料理嫌いではないけど毎日は作れない…くらいの人であればちょうどいいくらいの難易度ではないでしょうか。
ただ本当に面倒な人はこれとか使えばいいんじゃないかなと思ってしまいます。一回飲んでみましたが、割と美味しいですよ。
ただ何となく人道に反してる気持ちがしてしまいうのはなんででしょうかね。
こういうのがメイン食になる日ってくるのでしょうか。
『採用基準』の伊賀泰代さんも食文化変わると仰ってるみたいですね。
クックパッド社に”ちきりん”が社外取締役就任で広がる混迷|やまもといちろうコラム - デイリーニュースオンライン
これを読むとデリバリーが主流になるか、今のずぼら飯が続くか、って感じかと思いますが、第三の文明の利器としてこういうcompみたいなものがくるのか…。
まあ食べないより食べたほうが絶対いいしできることから始めましょう、それで身体壊れなきゃOKだと思う次第です。
個人的にはあたたかいごはんが食べたいので『終電ごはん』ありです!
僕のちかくからは以上になります。
中間のコンテンツ論
コンテンツのちかくに
最終的に何がやりたいかなと最近よく考えますが、どんな形であれコンテンツの近くにいたいと思っている気がします。
一社目に入る時に本が書きたいと宣って、当時の社長に「いやいまから書けよ」と言われ、「僕の人生にはストーリーがないからこの会社の創業期を書かせてくれ」と言った記憶があります。
僕自身もいま思い出したので、誰も覚えてないでしょうが。
結局いま自分のストーリーを書いてるので、結局先祖還りして戻ってきたなという気がします。ブーメランブーメラン。
ストーリーはいつもちかくに
何故そう思ったかというと、恐らく大学時代数々の映像作品の近くにいたからだとは思いますが、授業で観せられる映画のほとんどはストーリーが逸脱しててつまらんかったなという印象があります。
余談ですが、僕は人生で最高につまらんかった映画はと聞かれたら、大学の授業で見た『デッドコースター』を挙げるでしょう。
それに比べて通学電車で読む小説は面白いこと。古典文学もそれなりに読みましたが、どちらかというと東野圭吾等の商業性の高い作家の本をよく読んでいたなと思います。
その時からどこか商業性のない創作物には違和感を感じていたような気がします。
かと言って、MARVELや三池崇史が撮るような商業性のみに特化した映画が好きかというとそうでもありません。
なんというかその「中間」が好きでそれってどこなんだろうなとずっと思っていて、その過程で広告の中間具合に嗜好が寄り添っていったのかなと思います。
広告は誰のちかくにもある
SONYのこの広告は最高にかっこいいです。
Sony Bravia Ball Bounce Commercial
言ってしまえばこのCMはストーリーらしいストーリーはないのですが、”Color like no other”で全てが言い表されてしまう潔さが粋です。
この「誰にでも伝わる」かつ「芸術性が担保された」コンテンツという部分にものすごく惹かれた記憶があります。
映画はちかかったり、とおかったり
つまらなかった映画に共通してたのは「分かるやつに分かればいいよ」というスタンスです。
たしかにそういう映画はカット割りをかなり凝っていたり、現場のスタッフのリソースがかかったものだったりします。
ただ、観るものとしては学習しないと享受できるであろう芸術性とやらが殆どわかりません。
一方、いまの商業性の高い映画は出版物を原作とした実写化がメインです。
どの作品にも共通しているのは、キャスティングで話題性をとって、コストをかけたCGやロケ地で大味にまとめあげるというところです。
もちろん一定の収入が見込めるものの、その殆どは”原作レイプ”とファンから揶揄されています。
収益重視の観るに堪えない作品ばかりが集積されて、大箱の映画館の上映作品の質自体は落ちてしまっているなと思います。
ただそのくらいじゃないと生き残れないんだろう映画館のお財布事情もひしひしと伝わってきます。
「中間」のちかくにいたい
僕の中で好きなのは「中間」という気持ちは変わりません。
「噛んで味が出る」ではこの可処分時間の奪い合いの世の中へのマッチングが悪く廃れていく一方だと思います。
一方「大味にまとめた」作品だけが増え続けるのもどうなのでしょうか。
それこそがコンテンツだと思われるとしたら寂しいものです。
「うちの子は映画を観られない」と仰っていた方がいました。
「見る(観るに非ず)」習慣がYouTubeから始まっているから我慢出来ないそうです。
それはそれで映像を学んだ身として、問題を感じます。
コンテンツには必ず「中間」があるのです。
…と偉そうに宣いながら先日実写版の『銀魂』観て普通に面白かった僕です。
僕の近くからは以上になります。
コミュニケーションの中で生まれるバグ
イクラはガバッと食べたい
鮭の卵であるイクラの話をします。
ノリスケさんのお子さんの話ではないのであしからず。
イクラって一気に食べたほうが美味しいですよね。
一粒一粒箸でつまんで日本酒をクイッといくのが粋だと言う方がいるのは理解できるものの、飲み始めはやっぱりガバっといきたいです。
先日居酒屋に複数人で行った時の話です。
「おすすめメニュー」にイクラ刺盛り合わせがあったので頼んでみました。
「おすすめ」と打ち出すくらいですから、おそらく最初のオーダーで頼む人が多いメニューではないでしょうか。
少しすると、「これは緋色の宝石箱やー」といった具合に盛られたイクラが運ばれてきました。
これは美味しそうだと垂涎の思いだったのですが、宝石箱を開ける鍵であるスプーンの姿はそこにはありませんでした。
「すいません。スプーン持ってきてもらっていいですか?」
とお願いしたところ、ちょっとしてからスプーンが1つだけ運ばれてきました。
これではスプーンで皿に取り分けてから一粒一粒を箸でつまむことになります。
そうなるとガバッといきたい僕の要望は永遠に満たされないのです。
結局もう一度店員さんを呼んで、人数分のスプーンを用意してもらいました。
僕らはいつの間にか()を定義をしている
おそらく店員さんは皿に取り分けるための手順を満たすため、スプーンが必要だと捉えたのでしょう。
僕の読み取ってほしかったのは、
「(人数分の)スプーンを(いくらを一気に食べるために)持ってきて」
という自分の気持ちの部分である()内の部分です。
プログラミングの世界だとこのような定義が明確にされていないと意図した通りに動かなかったかったり、止まってしまったりします。
要は、バグが生じるということです。
僕は非エンジニアなのでコードを書くことはほぼないのですが、分析でも「背景」から読み取った「ノイズ」を潰していく作業が必要になります。
この背景で理解できているかどうかが分析の精度を上げていく上で必要になることだと考えています。
適切な解を出すことで実際に行動をおこしてもらうことが重要だと考えているためです。
行動にバグを生じさせない
イクラの話でいくと、店員と客双方に障害が生じています。
店員はもう一度スプーンを取りに行く必要があり、僕らは店員さん呼び戻す間、目の前のイクラがお預けになります。
お互いの一連の行動の流れに一種のバグが生じているということです。
ただ、日本の接客業は過剰サービスとも言われます。
サービス料をもらってるわけではないのに、色々しすぎだと。
それはそれで正しいと思います。僕も「お客さん」のときは多くを求めません。
ただ、自分が人を動かす場合は別です。
ミスコミュニケーションが生まれてしまうと、大きな損失につながることも考えられます。
行動のバグが生じないように日々()の中を読み取り、()を作らない意思を人と関わる上ではもっておきたいと思う次第です。
僕のちかくからは以上になります。
統計学は揺らぎを許容して振れ幅を示してくれる
現実は揺らぎのなかにある
僕なんかが統計学を語るのは100年早いと自負しているのですが、少しでも統計学をかじると物事が俯瞰して見えるようになると思います。
それである種の諦観を覚えたりするので、少し冷めてるように感じられることも多々あるのですが、そこにデータさえあれば大体のことは統計学に沿って説明ができます。
(その説明するための手法を学ぶのが大変なのですが…)
フライドポテトを考える
統計学入門としてよく聞く、フライドポテトの話があります。
うろ覚えで書くと以下です。(※下部に参考リンクあり)
問題です。フライドポテトが10本で20センチになりました。では、100本ある時全体の長さは何センチになるでしょうか。
A.200センチ
…と答えてしまうのは算数の世界です。
統計学はもう少し現実世界に即していて、「ポテト1本の長さが2センチである」ことが定義されない限り、1本あたりの長さに誤差が生じる可能性があると考えます。
実際に、ファーストフード店に行っても、ポテトの長さが均一なことはないですよね。
僕はファーストフード店で働いたことはないのですが、大量生産大量販売の商品を高速でさばくと考えた時、基準と成り得るのは1パッケージあたりの「重さ」だと思います。
このようにオペレーションを鑑みると、1本1本の「長さ」の精度を求めているのは難しいのではないかと仮説を立てることができますね。
あとは実際の数字から証明していけばいいのです。
データ抽出後は検定かけてもいいし、偏差値求めてもいいしヒストグラムだして終わりでもいいしとやり方は色々あると思います。
物事を一元的に捉えてしまうのは危険だけど…
現実はこのような「揺らぎ」の中で成り立っています。
算数の考え方のように、一つの法則に対して、答えは一つといった一元的な成り立ちではないのです。
ビジネスの場で答えを一つに絞り込み、言い切ってしまう人がよくいます。
ある種ビジネス本では鉄則として語られている手法ですが危険な場合も多々あると思います。
金銭が絡む場合は特にそうで、誰もが損をしたくないと考えています。
もし過去に言い切った通りになったとしても、次にそのようになる保証はありません。
ましてや同じ要素が揃うことは機械と機械でもない限りほぼありえません。
ただ、統計学を用いて分析の精度をあげていく作業はキリがなく時間はいくらでもかけられるというのも事実です。
また、組織としてアナリストやデータサイエンティストが意思決定に携わっていることもまだまだ少ないといった背景から言い切りが良しとなってる側面はあると思います。
下振れはまずいが上振れは良しとなる
USJのハリーポッター誘致の例が最近だと有名な例かもしれません。
確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力
- 作者: 森岡毅,今西聖貴
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- 発売日: 2016/06/02
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簡略的に書くと、ハリーポッターの誘致にあたって、データサイエンティストの予測が最後の一押しとなり誘致したところ、結果としてそれを上回る集客に成功したというデータを使った意思決定の好例です。
ここで注目してほしいのは予測に対して「上振れ」していることです。
言葉選ばず言い換えれば、現実世界では「誤差」が生じたということですね。
著者の今西さんが、分析者として少し弱めの読みで意思決定者である同著者である森岡さんに提示したという旨を残しています。
森岡さんから直前に提案がありました。お互いに手のひらに信じている数字を書いて「せーの」で見せ合いましょうと。そして先述したその幅の中で思案した結果、本当の現実的な予測を220万と考えていた私は、手のひらに敢えて保守的で低めの「210万人」と書いたのです。そしてお互いに見せ合いました。彼の手のひらには太くはっきりと「240万」と書かれてあったのです。お互いにニヤッとしました。彼は「200万は固い」と踏んだのでしょう。
ここまでの過程で自分では到底扱えない数式や思考法が数多く使われています。
読んでいて勉強になりっぱなしでした。
それをおいても、どんなに精度高く分析をかけても現実という「揺らぎ」の中で最大最小の間で「振れ幅」が生じるということがわかったことが最も収穫だったかもしれません。
(同時に弱めに読むのって自分だけじゃないんだと安堵もしました。)
言い切るのもあながち間違いではないのかもしれない
言い切る姿勢のいいところは、必ず行動が生まれることです。
諦観した上でせせら笑っていても、何も行動は生まれませんし現実は変わりません。
どんなに時間をかけて分析しても外れる時は外れるというのは天気予報をみれば明らかです。
ただ、USJの例のように社運をかけた莫大な資金がかかる意思決定は統計の力を使って振れ幅を踏まえた上で実施有無の判断するのが望ましいかなと今は思います。
統計をかじり、現実の揺らぎを知ったからこそ思うことの一つです。
僕のちかくからは以上になります。
確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力
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「それ、根拠あるの?」と言わせない データ・統計分析ができる本
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【書評】自律神経どこでもリセット! ずぼらヨガ
ずぼらヨガ
ずぼら○○が続きます。
自分で言うのもなんですが、僕はいまとても体調が悪いです。
神経的に参ってるのもあると思いますが、なんというかバイオリズムがよくない気がします。気の流れがよくないというか。
なんてスピリチュアルとも禅とも全く縁がない僕がヨガの本を読んでみました。
この本は友人のまほぴさんが教えてくれました。
読み進めて思ったのは、「あ。これ…今のおれに必要だわ。」です。
兎にも角にも自律神経!
自律神経とは、無意識下で体内環境を整えてくれる神経です。
体を活動させる交感神経と体を休ませる副交感神経のバランスを取ることが健康への第一歩とのことです。
意識的に呼吸する
よく耳にする猫のポーズなどがかわいい図解で紹介されています。
その中で重点的に書かれているなと感じたのは、「意識的に呼吸をする」ことです。
ヨガを実践してる方からすると当たり前だと思うのですが、ヨガはポーズの間に深呼吸をします。
そうすることで副交換神経が働き、体がリラックスするのです。
実際にやってみたところ、なんとなく深呼吸したほうが体が軽くなる気がします。
あと、自分息止めてたんだなってことに気づけます。
息止めてたは言いすぎかもしれませんが、生活してる中で浅い呼吸になっていたんだなと気づくことができます。
「意識して呼吸する」座右の銘に加わりました。
ちなみに好きなポーズは?と聞かれたら「いなほのポーズ ずぼらver.」としばらくは答えられそうです。
もはやずぼらダルシムになりたい
こういう本って図解がイケてないとポーズとれなかったりしちゃう気がするんですけど、本著はとてもわかりやすかったです。解説も要点掴んでて素人でもすっと入ってくる。
人に教えてもらった本は買うべきですよね。
まほぴさんありがとうございました。
いい高橋一生見つけたら送ります。
グニャグニャになって健康に向かってくれワタクシの体。
なんなら火も吹いて宙も浮けるようになってくれ。
しばらくすがらせていただきます。いや、よがらせていただきます。
僕のちかくから以上になります。
ズボラでこなすマルチタスク自炊
料理するのが好きです。
飲み会やら会食やらがなんだかんだ多いので、家にいる時はある程度栄養あるものを口に入れたいと思っています。
カフェのキッチンバイトからひとり暮らしの定番ワンプレート時代を経ていまがあるのですが、自炊歴5年として書きます。
料理はマルチタスク
料理はマルチタスクをいかにこなすかだよねってのが自分の考え方でそれを最短でこなすことが喜びだと最近気づき始めました。
なので上の写真のように凝ったものを作る必要は自分の場合特にないのかもしれません。ズボラ飯バンザイ。
例えばこんな具合です。
鶏出汁とる間に焼き物もしくは炒め物一品
↓
その間にシリコンスチーマーで一品
↓
出し殻の鶏で一品
↓
出汁で汁物一品
↓
サラダ一品
↓(ここまでを1時間かけない)
飯食いながら片付けながら一品
ガス2口の狭いスペースで6品作り置きぱぱっと完成です。
最近夜は米食べないのですが、必要に応じて鶏出汁の間に炊飯が入ります。
少し補足で書いていきます。
出汁は鶏出汁が優秀
出し殻の再利用がしやすいので、鶏出汁は優秀です。
鶏胸肉か鶏もも肉を鍋に水張って昆布と酒で火にかけるだけです。
出し殻の鶏は火が通ってるので軽く焼いて適当にソース絡めてもいいしそのまま使ってもいいです。
ソースはネギ塩かハニーマスタードあたりが簡単です。
醤油とみりんで照り焼きにしても美味しいです。
シリコンスチーマーは買おう
シリコンスチーマーはひとり暮らしの強い味方です。
適当に野菜放り込んでおけば一品できます。
ViV シリコンスチーマー ウノ パプリカレッド 59627
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最近だと「無限◯◯」のレシピも流行ってますよね。
どれも簡単で美味しいです。
個人的にハマってるのは冷凍のブロッコリー解凍して塩昆布とごま油和えてナムルっぽくするやつです。
放っといてできるものを作ろう
飯食いながら一品についてですが、基本的に煮玉子等のほったらかしレシピを作ります。
茹でて皮むいて漬けとくだけ。お手軽です。
あとは炊飯器レシピが便利です。
ちょっと頑張ればローストビーフなんかもさっと作れてしまいますし普通の煮物もとても柔らかく仕上がります。
cheap-delicious.hatenablog.com
飲み会やら会食がない時を除いて、最近はこれを平日だらだら食べ続けてます。
自炊は味がしないカルボナーラとか作っちゃうと辞めたくなりますが、根気よく続けてよかったと思えることの一つかもしれません。
バイト時代は包丁の握り方もわからなかったもんなー。
継続すれば多少は進歩するもんですね。包丁はいまだに下手だけど。
僕のちかくからは以上になります。
世界一美味しい煮卵の作り方 家メシ食堂 ひとりぶん100レシピ (光文社新書)
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【書評】「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義
センスを理解する
水野学さんのデザインが好きで著書は一通り目を通してると思います。
今回も楽しみにしていました。
「売る」から、「売れる」へ。 水野学のブランディングデザイン講義
- 作者: 水野学
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
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センスについては『センスは知識からはじまる』でも語られています。
本著で改めて確認できたといった形にはなりますが、以下引用箇所について書いていきます。
「センスとは、集積した知識をもとに最適化する能力である」
じゃあ、そのセンスをどうやって磨けばいいのか。これには3つの方法があると、ぼくは考えています。
ひとつは「王道、定番を知る」こと。 2つめは「流行を見つける」こと。 3つめは「共通点を見つける」こと。
僕は決しておしゃれではない
ですが、洋服の組み合わせを外さない方法はわかります。
学生時代にとにかくファッション誌に載りたくて原宿を毎日のように歩いていました。
原宿のカフェで働きなんとか一山当てたいと明治通りを闊歩していたのです。
結果として一山当てるのは叶いませんでしたが、何誌かに取り上げていただくことはできました。
その中で街歩く人を観察し続けたというのも勿論あるのですが、どちらかというと載りたい雑誌の研究を延々としてました。
主にしていたのは、パターンの研究です。
シルエット・色・素材等のパターンがどんなものであれば雑誌に載ることができるのか、どれならば自分の顔・身長・体型とマッチングがいいのかを延々と考えていました。
本著を読み、その過程が言語化されたような気がしました。
王道、定番を知る
『チープ・シック』のような雑誌から古典を読みケータイのカメラでスクラップしていきました。また、大学が映像の学科だったため古典映画もよく観てスクラップとして残していました。
- 作者: カテリーヌ・ミリネア,キャロル・トロイ,片岡義男
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 1977/04/01
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流行を見つける
雑誌や最新の情報を見ていき、スクラップすることも並行してしていました。
「今」が過去からどの循環にあるのかを考えます。
見ていくとわかってくるのですが、ファッションの流行には周期があります。
その中に新しいトピックスを足しているにすぎないと考えています。いまはあまり研究できてないのですが気になるのは「和」かな…。
共通点を見つける
この2つから共通点を探していきます。
更に言うと、服であれば自分とのマッチングを考えることが重要です。
第三者の視点から自分がどう見えているのかを仮説立てて、どのように見せていくかを決めていくのです。
自分をデザインしアウトプットするとも言えるのかもしれません。
センスは資産
インスタもピンタレストもなかった時代だったのでいまスクラップはなくなってしまいました。
それでも、自分のなかで「センス」は資産として残っているように思えます。
もっと有効なことに時間使っておけばよかったかなとも思いますが…。
僕のちかくからは以上になります。
「売る」から、「売れる」へ。 水野学のブランディングデザイン講義
- 作者: 水野学
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やっぱりねそうだろねだけじゃちょっとしんどいね
抽選の鬼
うちの母は懸賞を当てるのがやたらとうまかった記憶があります。
僕が子供の頃の記憶なので、まだWebで抽選は主流ではありませんでした。
一枚一枚はがきを書いて送る。すると何故か当たる。不思議でした。
子供ながら理由が気になり、応募前のはがきを見てみたことがあります。
はがきを見て驚愕しました。
氏名:○○
性別:女性
年齢:27歳
所帯:独身
「…いやあんた、年齢サバ読んでるし既婚だしなんなら子持ちやん。」
追及すると素知らぬ顔で、こう言います。
「懸賞する理由を考えて、欲しい年齢を書いて、募集した人が欲しそうな意見を書くの」
…ただのマーケターでした。
時には「無機質な字がほしいから」と父に書いてもらっていたりもしていて、今思い返すとなかなかやるなと思う次第です。
無作為抽出がデータ化によって簡単になった昨今では通じない手法な気がしますが、いち消費者として一考の余地はある手法かなと思います。
いつの間にか固定したユーザーを描いてる
ある意味母親はマーケターのインサイトに迫った消費者型マーケターだったのかもしれません。
インサイトを考える上で、LINEのCMOの田端さんの記事が面白かったです。
ユーザーインサイトへの言及が的を射てるというか僕の”インサイト”に刺さってしまったので引用します。
僕なりに「インサイト」を訳すと、“抑圧されているがゆえに語りえない本音のこと”だと思っています。
人間って、多面的に文脈によって顔が変化する時があるから、それを一面的にたとえば「マイルドヤンキーなんでしょ?」ってラベルを貼っておしまいでは、浅いなあと。
ユーザーをペルソナ化して固定化する手法があります。
手法としては間違っていないのですが、固定された存在として捉えることは危険だと思います。
人間の行動は決してソリッドではなく、リキッドなのです。
ユーザーの「ここは触らないでほしい」点まで配慮する必要があるという言及は、社会がつくり出す気恥ずかしさという本音にまで触れているようで一種の感動を覚えました。
やっぱりそうだよねが欲しいマーケター
広告代理店時代に、マーケティングリサーチを行いレポーティングする機会がありました。
大体のアンケートパネルは「まあ、やっぱりそうだよね」で収まることが多く、描けるユーザーの像も既知のものでしかない場合が多いです。
リサーチャーの顧客は依頼主であるマーケターです。
ここでリサーチャーが陥りがちなのは、依頼主の意向に沿ったレポーティングをすることです。
もちろん数字の改ざん等は行いません。
データの中から依頼主がほしいであろうユーザー像を描いて、当てにいく。
それでは本当の「インサイト」に辿り着くわけがありません。
それこそ母がやっていた「これが欲しいんでしょ?」が実際の現場でも行われているのは危機感すら覚えます。
そして、その程度の仕事は消費者マーケターである母に読まれているのです。
ビジネスの場では、決して懸賞の景品がほしいわけではありません。
欲しいのは掴んでも掴みきれないユーザーの本音なのです。
全ては母の手中。そんなの絶対ごめんだ。
僕のちかくからは以上になります。
広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。
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中途半端な人の声(東京都在住Sさん27歳)
好きな映画に『グッド・ウィル・ハンティング』があります。
天才が大切なものに気づいていく物語です。
好きなシーンはいくつもあるのですが、あまり人が選ばないであろうシーンが気になったりします。
「世間の人は僕と君の差がわからないが、僕には分かる。嫌ってほど分かってしまうのさ」
数学の教授である”先生”が解けなかった問題を主人公である”ウィル”があっけなく解いてしまうシーンです。
その解答用紙を心なく燃やす"ウィル"。
このセリフからは"先生"の嫉妬がにじみ出ています。
足を踏み入れた人にしかわからない世界
僕はある種の専門職からキャリアをスタートさせたと思っています。
広告予算を最適に活用する仕事です。
分析の必要性があったため、少しでも良くなろうと学習を進めました。
その学習を進めているうちに「分析のできる人」のラベルが貼られ始め、今でも周囲からは一種のわかりやすい特性になっているのかなと思います。
ただ、自分は所詮付け焼き刃の分析屋だと常に思っています。
それは分析を学ぶ時間は僕にとって努力が「苦」だからです。
努力できていないことが自分の中で明らかなのです。
しかしそれは周囲には伝わっていなかったり、理解を促せないことが多いです。
本物は努力できる
この記事の一説が興味深かったです。
『秀才は努力の人で、天才は努力しなくてもできる人』とみられがちですが、僕は違うと思う。『秀才は中途半端な努力しかしない人で、天才は超人的な努力をして、しかもそれを努力と思わない人』
こういう人間は自分の近くに何人もいます。
6割の理解を良しとしない人です。
僕は6割で物事を進めることがよくあります。
腰を据えきることができないのです。
例えば分析であれば、数学の知識が無いと統計学を理解するのは難しいです。
6割の理解で進むと必ずと言っていいほど壁にぶつかります。(現にぶつかっています)
統計ができなければ機械学習は学べませんし、人工知能への理解も曖昧になります。
このような形ある理論がいつの間にか概念へと変わっていくことがビジネスの現場ではよくあります。
「人工知能でマーケティングの全体最適化!」みたいな概念たる何かは最たる例です。
それはただただ理解が乏しいからです。
決して、抽象化しているわけではありません。
努力できているか、できていないかでしかないと僕は思います。
“先生”は僕とは違い勲章を得ている教授なので、僕なんかが言うのはおこがましいですが、同じように努力できていない自分への葛藤があったのではないでしょうか。
その葛藤に共感してしまう自分がいます。
僕のちかくからは以上になります。
NBAのストーブリーグにみる成功循環モデルの捉え方
NBAの移籍市場が面白い
僕はもっぱらのバスケファンです。
一試合を通してバスケを観ることは少なくなりましたが、NBAの動向には必ずと言っていいほど目を通しています。
オフシーズンに入ったいま熱いのは、移籍市場です。ストーブリーグってやつですね。
均衡するリーグ
NBAは三年連続ファイナルの組み合わせが三期連続同じカードと、やや均衡している感があります。
そこだけ見ると、レブロン擁するキャバリアーズ、カリーとKD率いるウォリアーズの二強と、"その他のチーム"といった構成と言っても過言ではありません。
”その他のチーム”の順位が3年で動いてるのでその意味合いでは面白いのですが、矛先がチャンピオンチームである二強に届いていない感は正直あります。
そういった背景もあり、各オーナーは今年こそはと、補強・放出といったビジネス上の権利を積極的に行使しているのです。
ビジネスとしてのNBA移籍市場
ポール・ジョージのトレードによるサンダーへの移籍はNBAの「ビジネスとしての移籍」として象徴的な動きだったなと思います。
FA権を再来年行使確実になった生え抜きエースを本人の希望を無視してサンダーへ送り出しました。
巨人が高橋由伸を阪神に送り出したようなものです。(例えが古い)
NBAではこういうことがよくあり、その度にドライだなんだと言う人はいますが、ビジネス色強いのがNBAの移籍市場なのです。
ウェットに動いたのは2015年のマーベリックスとの大型ディールが決まっていたのにそれを棒に振ったディアンドレ・ジョーダンくらいです。
そして、先日そのジョーダン所属するクリッパーズからクリス・ポールが本人の希望したトレードによってロケッツへ移籍しました。
あのドラマティックな展開はなんだったのかとさすがに僕も思ってしまったのですが、これもNBAです。
さてジョーダン、いま何を思う。
勝ちきれないチームと勝てるチーム
クリス・ポールの移籍はキャリアの中で優勝したいがための移籍だと考えています。
一方、昨季王者のウォリアーズのメンバーは次々に残留を決断しています。
その中にカリーの市場最高年俸の契約ありとホットな話題もひしめいています。
個人的には他チームのスタータークラスのベンチメンバーは移籍するんじゃないかと思っていましたがそれだけ勝利の美酒は美味いということでしょうか。
グッドサイクルとバッドサイクル
この一連の流れをみて思い出したのは、ダニエル・ピンクの提唱する「成功循環モデル」の中のグッドサイクルとバッドサイクルです。
グッドサイクルとは関係性の構築を先にすることで、結果が自ずとついてくるというものです。
反対に、バッドサイクルとは結果出ていないことを先に見て、それによって関係性までもが悪くなっていくというものになります。
ある意味、15年のクリッパーズの例はグッドサイクルの象徴だったように思えます。
ただ、その中で結果がでないチームには残れないとクリス・ポールは決断しました。
反対に結果が出ているウォリアーズは再契約者が続出です。
今回残留を決意したショーン・リビングストンは確実にもっと稼げるプレイヤーです。
それでもチーム残留を優先し、決断を下しました。
グッドサイクルは長期的な視点で回す
成功循環モデルはわ長期的なビジネスに有用なフレームだと僕は考えています。
関係性を構築しておくと、将来的に結果として返ってくるものなのかなと。
自分の例で言うと、前職のメンバーやお付き合いあった方が今でも仕事の種を持ってきてくれたりします。
その際は毎回あの時があってよかったと思うものです。
卑近な例で恐縮ですが、そういう意味合いでは関係性を構築しておくことで”後々”結果がついてくるよねというのは間違ってないように思えます。
それ勝敗が1シーズン毎に明確にでるスポーツなど短期的なビジネス環境では当てはまりにくいのかもしれません。
短期ビジネスでは、結果が全てです。
例えバッドサイクルだとしてもキャリアに一花咲かせるための手段として移籍はあって然るべきなのです。
なので、今回のクリス・ポールやウォリアーズの面々の決断は間違っていないように思えます。(ジョーダン…あなたはそういう人だ。ウォリアーズのときもあなたは選択を間違えた。でもそういうやつ、嫌いじゃないぜ)
短期ビジネスに懸ける選手たちの動向にまだまだ目が離せません。
ゴードン・ヘイウッド君はいずこへ。ブルズの悲惨さにウェイドは耐えられるのか。カズンズ結局どうすんだ。
楽しみですね。
僕のちかくからは以上になります。
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
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ハリボテを追いかけるのはもうやめだ
想像上は女性になれるけど実際に女性になることはできない
ご存知じゃない方もいるかもしれないのでここで言っておきますと、本ブログの著者の性別は男に分類されます。
ただ、仕事の都合上、広告代理店時代は女性系の商材に関わることもありました。
その時は女性にならなければならないのです。
化けの皮は剥がれる
その場ではもちろんターゲットとなる女性たちのライフスタイルの話をします。
そこで頼りになるのは数字であったり、雑誌であったり、テレビであったり、友人であったりと様々なソースからユーザー像を組み立てていきます。
それに加えて広告する商材は必ず自分で買って利用してみます。
ただ、その過程を通して生まれた”仮想女性Aさん”はどうしても薄っぺらいのです。
普通に生活してても知り得ない声を聞くこと
いまママ向けのサイトを運営のお手伝いをしています。
そこで聞こえてくるのは独身の自分の知り得ないママ達の生の声です。
「赤ちゃんが髪を引っ張るから髪を短くしてる」
身近な例だと、これを聞いたときは、ハッとさせられました。
無意識のうちに「ママって髪短い方多いなー」くらいで思考を止めていた自分に気づいたのです。
そんなこともわからないのかと言われそうですが、わかりませんでした。
ゴメンナサイ。
いまの時代情報は溢れています。体験談もたくさんあります。
でも、わかったつもりが一番怖い。
リサーチは必ず生の声でしようと改めて思いました。
やはり汗のかき方、ですね。
僕のちかくからは以上になります。
Hooked ハマるしかけ 使われつづけるサービスを生み出す[心理学]×[デザイン]の新ルール
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グレーを許容する
あいつは終わったな
新しいテクノロジーや産業が出てくるたびに終わった論を聞きます。
先見性を持った発言なのかもしれませんが、これってもったいないよねって最近思います。
「ガラケーは終わった」
2007年の初期iPhone発売からもう10年経過しています。
2017年の博報堂の調査によるとスマホの所有率は77.5%とのことです。
つまり、この10年をしてもガラケーの息の根はまだ完全に止められていません。
まだ世の中の「デビュー夫人」たちが2割以上残っているというわけです。
ただ、ガラケーの保有割合が限りなく減少して、スマホが優勢になってきているというのは事実です。そのうち本当にガラケーは終わりを迎えるのかもしれません。
キャズムからビジネスの種を見つける
マーケティングの世界では商品が普及に至るまでの過程をキャズムで捉えます。
スマホの例で言うと、現在はレイトマジョリティからラガードの過程といったところでしょう。
商品が受けいれられる形へ進化を遂げて、普及に至るという流れな気がしています。
スマホのUIもどんどん使いやすい形にアップデートを繰り返していますよね。
普及する未来に向けて、そこまでの溝を埋めていくのがビジネスを考えるということです。
先程の「デビュー夫人」もその一つです。
普及にあたっての溝となる年齢層をできるだけ取り込むための広告戦略として、「デビュー婦人」というクリエイティブで訴求するビジネスが広告代理店で生まれているわけです。
物事を0か1かでしか捉えないのはもったいない
「始まった」・「終わった」二択でビジネスを捉えるということは、物事を「ある」・「なし」の2進数的に捉えていると言えます。
0.2や0.5はそこに存在しないのでしょうか。
「終わる」まで過程にこそ、ビジネスのヒントが隠れています。
0か1かと短絡的に捉えると、機会をみすみす逃し誰かに作られた世界を生き続けることになります。
始まりから終わりのまでの「文脈」を作り上げている人が世の中には確実に存在しているのです。
例えば、巷で言われている人工知能で人の仕事をなくすにはどうしたらいいでしょうか。
仮想通貨はどうすれば日本で活用が進むでしょうか。
IoTはどうすれば普及が進むでしょうか。
これらが何かを終わりへと導くと確信した時、文脈を紡いでいく余地はまだまだありそうです。
僕のちかくからは以上になります。
アナリストよりアルケミストになりたい
データはデザイン
データとか分析ってデザインだよねってよく話します。
仕事柄分析の仕事に携わることは多いです。
ただ、正直分析自体にそこまで価値はないと思っています。
「分析」と「示唆」はワンセットで語られることが多いですが「示唆」の意味を辞書で見てみると、
それとなく知らせること。ほのめかすこと。
とあります。
つまり分析だけでは、ほのめかし程度でしかないのです。
「○○ちゃんあなたのこと好きらしいよ」
そんなもんにすぎないのです。
どちらかに行動してもらわないとそそのかしから始まるこの恋は成就しないのです。
行動なき分析はゴミ
示唆を行動に結びつける方法は大まかに2パターンで分岐します。
①示唆を行動に落とし込む(人)
②開発によって示唆を機能として組み込む(機械)
①はよくあるPDCAサイクルで回していくパターンで、その先に②があるってところでしょうか。
改善の先に定形化がありそこから自動化へ向かうというのが現代だと思います。
学習まで自動化へ向かう人工知能の話は今日は置いときましょうか。
つまり、どんなに精密な分析をしたところでそれが行動として機能しないと何にも意味がないのです。
それを機能させるために、分析者は分析結果をデザインする必要があると僕は思います。
ここで注意してほしいのは決してデータや分析結果を改ざんしろというわけではなく、人に最適な行動をとってもらうためのコミュニケーションをデザインするということです。
例えば、天気予報では地上気象・海上気象・高層気象・レーダー・気象衛星等のデータを解析し予測モデルから天気を導き出します。
その時の分析結果はどのようにデザインされて、人々に伝わっているでしょうか。
「今日関東地方は、傘が必要です」
誰でも分かる形で、行動を促す、これこそが分析におけるデザインです。
データの見せ方もひと目で分かるアイコンで図示されています。
数字の錬金術師
どんなに精密で難解な分析をしていても伝わらなければ意味がありません。
分析者の努力の過程を資料化して客先で話すなんて愚の骨頂です。
それは同業者同士が、お互いの仕事を称え合うときには必要かもしれません。
ただ、ビジネスの場は学会ではありません。
正しい分析から行動さえ促せれば、分析者は錬金術師になれるのです。
僕のちかくからは以上になります。
- 作者: ドナ・ウォン,村井瑞枝
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