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ちかくにまなぶ

近くから学んだことを書き残すブログです。

思考に自由度を持ちたい

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思考の自由度について

年々思考の自由度が下がってきてる気がします。

経験を積み、解釈できる範囲が広がってくると色眼鏡をかけるようになります。

その眼鏡をかけて物事を捉え始めると徐々に視野が狭くなり、思考が自分の枠に収まってしまうということが増えたように思えます。

いわゆるパラダイム、もしくは老化というやつです。

このパラダイムに縛られた中で思考の自由度を如何に高めるか、ということが発想力に満ちた人と乏しい人の差だと思っています。

組織の効率化について

一方、経験をベースに物事を効率化した方が時間的余裕が得られるのも事実です。

経験を糧としないといつまでも同じ作業に同一の時間をかけかねません。

観点となるのはあるべき姿に対しての余地だと思います。

あるべき姿への余地が大きければ大きいほど、新たな発見が必要になり時間を要す必要があります。

ここに時間を割かずに効率化へ向かってしまうと、結果的に小さくまとまってしまい、結果としてあるべき姿からはかけ離れてしまいます。

 時間が1つの業務効率の指標となるため、小さくまとまってしまっているケースというのは組織になると多いと思います。

作業量に紐づく時間が負荷と捉えられ、拡散と収束を繰り返していく過程で、それが個人の経験として集積されていきます。
こうして徐々に凝り固まった経験がパラダイムとして個人の思考に影響を与えていくというわけです。

あらためて思考の自由度について

そうなると個人は前段に記載した「思考の自由度が下がってないか?」という疑問がもやもやと湧いてきます。

この疑問が湧く人、湧かない人でまた分岐がある気がします。

もっというと、疑問が湧く人の大半はそれを見ないふりをしているとも思います。

見ないふりをしていると、一層思考の自由度が下がってしまうのです。

色眼鏡を外して外の視点に触れること

今回の主張としては、今いる場所の現状だけを見るわけではなく、外の違う視点を取り入れましょうねということです。

脳は事象と事象をまず点で捉え、刺激を受けることで事象と事象を線で捉えることができるようになります。

これが理解すること、とここでは定義します。

点と点がつながった線は一本ではなく幾重にも広がる点に対して、何本も枝葉のように伸びていき、今度は線同士でも接触を続けます。

刺激を受けた回数が多いほど、理解できる幅が広がるということなります。

これを僕は思考の自由度が上がるということだと考えています。

まとめると 

同じ場所に留まるということは、同じような刺激を受け続けるということです。

そうすると同じ点と点が刺激を受けるため、思考は強固になりますが、広がりを生みだしません。

その場所が脆弱性を迎えた時にどうするかということを考えておかないと共倒れになる可能性が高いです。

歴史から見ても、国から始まった集団、組織は滅びるのが原理原則です。

行動が伴えば、自分の思考が顕在化した「場」となっているはずなのである種心地よいと錯覚するかもしれませんが、それは一瞬にすぎないかもしれません。

そういった意味合いでも、外の視点を取り入れる機会を作るという重要性を捉え、行動すべきだと思う今日この頃です。

そうすることで個人の色眼鏡に何色もの光が灯り、新しい扉が開けるようになればいいなと思う次第です。

 

僕のちかくからは以上になります。