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ちかくにまなぶ

近くから学んだことを書き残すブログです。

人工知能が騒がれてるいま、今後の競争戦略を自分なりに考えてみる

定石は知るべき

社会に出てから定石を知らないまま勘で進み続けている人を何人も見ました。

例えばマーケティングであれば、コトラーを読まないのはまだ許せるかもしれません。あれはエッセンシャル版でもなかなか骨が折れます。

ただ、マーケティングの歴史は長い。コトラーを読んだ人先人は何人もいるということになります。そのサマライズされた文書に触れることは容易いと思います。

自分の場合は以下のような入門書からマーケティングの歴史に足を踏み入れました。

決して本にこだわる必要はないですが、体系立てて学ぶという面で考えるとネットは効率が悪い気がします。

網羅性は高いものの、物事のつながりを捉えにくい。それが講じて、一定領域のみに精通している人が増えているように思えます。

コンサルの業界ではよく耳にする話ですが、物事を見るには「鳥の目」・「虫の目」・「魚の目」の三種類が必要です。

matome.naver.jp

神は細部に宿ると言いますが虫の世界だけを見てると、視野が狭くなってしまうのは想像に難くないことです。

ほとんどの業界は定石をなぞることができる人が少ないからこそ、少数の勤勉な人達がなんとか秩序を保っている状態だと思っています。正直者が得はしないけど徳を得ている、そんなところじゃないでしょうか。

ただ例えば、みんながみんな定石をなぞる世界がきたらどうなるでしょうか。正直誰もがなぞれる世界がきてもそれをなぞらない人が多数になると自分は思っていますが、考え方によっては、その時代は近づいてきているなと最近思います。

 

「ヒト」・「データ」・「キカイ」

Yahoo!JAPANAI戦略を語る中で「ヒト」・「データ」・「キカイ」という言葉を使っていました。人工知能を語るのに自分の知識量はまだまだ不足していると思うので、詳細は以下の記事を読んでいただくのがいいと思います。

college.nikkei.co.jp

ざっくりいうと、ここで書いてあることはヒトとキカイの共存、いわゆるマルチラリティでヒトが働いていくための行動規範です。

最近良く聞く機械が仕事を奪うという言葉の聞こえは恐ろしいですが、ひとまずつかんでおくべきことは「機械がルールをプリインストールする」ということだと思います。つまり、現在ヒトが用いている作業を含むノウハウはキカイにインストールされた状態で物事が始まるということです。極端に言うと勤勉なヒトの脳みそがインストールされたキカイが登場するということですね。

そんなアホなという方もいるかもしれませんが、既に手近な業界では始まっていることです。例えば、金融の業界はTHEOウェルスナビというサービスは投資判断を人工知能が行うサービスです。これによって投資領域は自動化し、人の手を離れたといっても過言ではありません。

投資のように過去に蓄積された膨大なデータがある業界からこの波がくると考えていいでしょう。ここで考えるべきは、キカイが介在することで虫の目の視点から仕事を減らし始めているということです。

投資の例で言うと、金融工学の中の投資判断を切り取ってキカイが代行しているのです。ただ、投資判断が自動化しても必ず資産が増えるわけではありません。経済は政治の影響を多く受けるものです。その経済学で言う外生的ショックを読み切ることは過去の膨大なデータの蓄積と微量な現在の市況データだけでは不十分です。

そこで必要になるのは虫の目以外の2つの視点です。つまり、物事を俯瞰する鳥の目、流れを把握する魚の目こそ、今後ヒトが改めて持つべき目ということになります。

 

本当に機械に人の仕事が奪われる?

近い将来キカイが虫の目を用いる仕事を代行し始めるのは確実です。その時虫の目の仕事を行っていたヒト達はなす術ないのでしょうか。

僕は競争戦略が働く限り、それだけでは競争に勝てないと考えています。競争戦略に基づくと、何かしらの市場で勝負するにあたって差別化が必要になります。多勢が行っていることに従っているうちは差別化できません。その多くはコスト・リーダーシップを用いた戦略となり、進む退くも「金次第」となってしまいます。その戦略が領域の主となると経済の伸びには限りがあるため、縮小均衡の道を辿ることになります。

ベンチャー企業が当てた事業を大手企業が後追いでやり始めて追い抜いてしまう、ということが昨今よく起きていますが、それも差別化の要素が不足しているが故に投下した金額が物を言う競争になっているということだと思います。この競争に陥った時、ベンチャーが進む方向の一つとして資金調達があります。昨今資金調達のリリースが後を絶たないのはこういう背景だと考えています。

少し話が逸れましたが、縮小均衡を打破するために必要になる視点は、「逆張り」の思考です。キカイによって判断の線引きが均等になってそれがマジョリティになるということはベンチャー企業の例のように競合性が高まるということです。競合性が高まると、価格競争に陥るというのが世の常です。その逆をあえていくことで、小さい投資でも大きく勝てる可能性を見出す、というのが逆張りの思想です。

要は人と同じことやっててもゆくゆくはだめになる可能性が高いよねってことです。

 

逆張り」を知る上での映画『マネー・ショート』

『マネー・ショート』という映画をご覧になったことはあるでしょうか。投資の酸いも甘いもを知るのに良い映画です。舞台はリーマンショック前のアメリカ。サブプライムローンをテーマにストーリーが展開していきます。

サブプライムローン破綻の時、最後に笑ったのは、マジョリティではなくマイノリティです。勝つということは『マネー・ショート』のエンディング然り、誰かが負けることを覚悟することなのです。個人やベンチャーが狙うのはそういう世界であるべきだと思います。

ただその時、得があったとして徳はあるのでしょうか。ベンチャー限界論も昨今叫ばれ始めています。

最近考えていることです。

 

僕のちかくからは以上になります。