風呂についての駄文
天辺までのことを「今日」と呼んでも無駄だということは、この社会人生活で理解してしまっているので、寝るまでを「今日」ということにしている。社会に入りたての時は、その日の汚れをその日のうちに落とすことの素晴らしさにも気づいておらず、朝起きてシャワーを浴びるということも多かった。実際、それが出来たか否かは、次の日の生活の質を大きく左右する。前述の内容になぞらえるならば、「今日」を終えられないまま「明日」を迎えるようなものだ。そんなことに気づくまで6年の時を要した。書いてみるとあほらしいなと思うもので、小学生でも知っている「寝る前にお風呂に入る」ということの重要性を社会人になって身をもって体感したということだ。その要した年月が小学校卒業までの年数と変わらないというのは、「劣等生」のレッテルを貼られてもおかしくないだろう。実家にいた時はなんとなく惰性で生きていた。実家から出て6年。ようやっと中学生になる時が来たのかもしれない。底辺を短針が指す頃合いだ。
僕のちかくからは以上になります。