適応障害と診断された話 その3
復活の狼煙
適応障害と診断されて約2ヶ月。適応障害になった所感や当時の症状などはこちらのリンクご覧ください。
いまはだいぶ元気になって、営利活動も再開しました。完全休養1ヶ月半、アイドリング半月ちょっとって感じでしょうか。 最近のトピックスとしては、
- 会社辞めました
- また個人で仕事始めました
- のんびり働いてます
って感じです。直近はマーケ畑でバイトみたいな仕事しながらゆっくり芽が出そうな事業の仕込みを入れています。そんな大それたことする気はないけど変わったらいいよねみたいなことからアプローチしていく予定です。もし、お仕事の相談あれば(skomatty@ジーメール)までご連絡ください。
結局治ったのかと言われると、たとえ医療機関のお達しが出たとしても、本来的な意味で治った確証を持てるわけではないなとも思ったので、今日は今後こうやって対策していこうと思ってるよみたいなことをまとめていきます。なんにせよ、単純に体が空いたことによる恩恵かもしれませんが、とりあえず気力は十分になってきました。
念のため書いておきますが、あくまでここから書くことは個人の所感です。どう捉えるかもその人次第ですし、本領域に関わらず生き方に正解はないと思います。僕がまた休むわあって言い始めたらそらそうなるわと笑ってやってください。
心療内科の診療で効いたものはなかった
「今日初めて会うカウンセラーと30~40分そこらで自分をさらけ出せるなら周りに弱い自分さらけ出してるわw」
みたいな気持ちに治療の過程でなってしまい、途中で治療に通うのはやめました。 僕に限って言えば、退職も決まってましたし、次の働き先は個人だし、それでもダメだったらまたくればいいやくらいの気持ちで判断しました。 これは僕の捉え方も間違っていたのかなと思っているのですが、心療内科は治るきっかけをくれる機関だと思って接していたけど、そうではなかった。基本的にはお金払えば休むための書類をくれる機関くらいで付き合うのが吉だと。少なくとも僕の通ってた病院はそうでした。休みたいけど休めない、どうしようもなくなったときの最後の駆け込み寺だという認識は最後まで改められることはありませんでした。
認知の歪みを認識する
その上で、認知心理学の観点で自分を見られるようになるための学習を行い続ける。これが僕の中で今回の最適解だと思いました。結局それが無意識でできてる人は問題ないんです。自分はそれが苦手だったり、学習機会が足りてなかったんだと思いました。心理学部卒がこんなことも言うのも恥ずかしいのですが。
今学習にあたって利用しているのはこの本です。
- 作者:デビッド・D・バーンズ
- 発売日: 2013/07/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
認知の歪みとは、認知心理学で提唱されている考え方で事象を客観的な観点ではなく自身の経験などから来る色眼鏡で物事を捉えてしまうことです。 認知の歪みには以下の10パターンがあります。 それぞれの意味は割愛しますが、ざっと見るのにこちらのリンクがまとまりよかったのでおすすめです。
全か無かの思考
行き過ぎた一般化
心のフィルター
マイナス思考
論理の飛躍
拡大解釈、過小解釈
感情の理由づけ
~すべき思考
レッテル貼り
誤った自己責任化(個人化)
誰でもこの中のどこかに当てはめて事象を認識しています。特にこの中だと自分が陥りがちな歪みは、 [全か無か思考]・[一般化のしすぎ]・[レッテル貼り]・[すべき思考]・[個人化]です。それぞれ一個だけの歪みがかかるのではなく、これらが複合的に組み合わさって、自分が勝手に生きづらくなるという局面が多い気がします。
例えば、代理店時代に自分が参加したコンペでプレゼン後、戦局が曖昧になったことがありました。その時こんなことを思った記憶があります。
「自分があそこで噛んで要所が伝わらなかったのかな…泣きそうや…」
これは[個人化]です。事象を勝手に自分に置き換えています。歪みを解くと、
「よくよく考えると俺が喋ったの、ものの5分や。そんなのそこまで気にされてないし気になったら質問するやろ。」
と考えることができるようになります。なんでこの出来事振り返ったのかわからないですが沸きらない思いとして印象に残ってたんでしょう。
もう一つ例を挙げると、
出がけに、自分の部屋で物をなくし、「最近この部屋はものがなくなる…」と思った、とします。
これは複合的で、まず「この部屋=ものがなくなる」という[レッテルをべたっと貼り]付けています。実際に起きたのはこの一回かもしれないし、同じことを発生したのは1年前かもしれません。そう考えると、[一般化のしすぎ]です。また「なくなる」と考えていますが、実際にはなくなっていません。発生地点が部屋なのであれば、必ず部屋のどこかにあります。そう考えると、[全か無か思考]が働いたとも考えることができます。
このように、合理的に物事を捉えていく必要があります。人へのフィードバックのフレームワークにSBIという考え方がありますが、これを自身の行動に当てはめてから認知の歪みを客観的に捉えていく癖を付けていこうと考えています。
ただ、そもそも「不快」となった行動の認識が自分でできてないケースが自分はありました。その対策として不快になったら押すカウンターアプリの利用も始めました。
方法としては簡単で、
- 生活しててもやっとしたらそのカウンターアプリを何も考えず押す
- デイリーで記録を付ける(忘れてもOK!)
- 多かった日の出来事をこの要領で振り返る(頻度適当です)
カチッとやっても自分にはハマらないのでこのくらい緩く考える時間を設けようと思っています。引き続き学習を続けて良い物から採用していきます。
ここざっくり10年の状態目標を作った
10年くらい後にこう在りたいよねみたいな目標を作りました。事業やってても数字から目標作ってくのあんまり得意じゃないというか、狸の皮算用にしか見えないので、状態から数字にするとどのくらいになるのかなと導いていく方が望ましいと考えています。
また、この感染症の流れが環境問題から由来してると捉えると、今回の新型コロナの一回きりで止まらないと考えています。その上で今見える数値を立てることにそんな意味はないなと。
何が起こるかわからない状態で複合体である環境や集団に何を求めて何を達成させていくかより、こう在りたい個人の状態を求めていこうと思います。言語化したので近いうちに発表できたらいいなと思っています。
さて、本ブログの適応障害シリーズ①は今回で終わります。②がないように防止策を取りながら、通常の投稿に戻していきます。 休養期間に実際に温かい言葉をくださったり、会ってくださった皆様がこのブログを読んでくれてたらこの場で感謝を言いたいです。本当にありがとうございました。この恩は必ず返します。 また、このブログの数少ない読者さん、こんな毎回長いブログに目を通していただいてありがとうございます。同じ境遇の方々の少しでも役に立ったら嬉しいです。
いっぱいのんびりしたし、そろそろ復活の狼煙を上げよう。
僕のちかくからは以上になります。
- 作者:デビッド・D. バーンズ
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本