ちかくにまなぶ

近くから学んだことを書き残すブログです。

タクシードライバーとテクノロジー

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タクシーって便利ですよね。都内に住んでるとどこにいても大体帰れてしまうので終電の概念がなくなってしまいました。だめな大人ですね。

 

 

カーナビの地図上で川の上を走った事ある人

タクシーに乗る時生じるコミュニケーションかなと思うのですが、最近のカーナビって運転中触れないようにできてますよね。

だから僕みたいな乗客が住所を行き先を言っても、止まってからわざわざ東京都からカーナビに打ち込んでという作業が必要になります。

これ急いでる時結構ハラハラしますよね。タクシー乗るときって大体急いでるし。

しかもカーナビに強い知人に聞くと、カーナビに搭載されてる地図って3年遅れらしいです。

田舎行くとカーナビの地図上、川の中を車走ったりしてハラハラしません?

それならGoogleMapのほうが絶対アップデートはやいですよね。

 

これなんとかならんかなあとずっと思っていたのですが、この前乗ったタクシーのナビゲーションがiPhoneで、しかも運転手さんが音声認識で入力してたんですよ。

これなら止まらなくても操作できるし、地図も最新、なんなら東京都から入力しなくてもいい!

これ自分が思ってたこと一気に解消できていいじゃん!と思ったのですが、普段仲間内ででかけるときを考えると普通のことだと思い直しました。

今どきの若い子(自分を若い子って言いたい)って車乗って皆で出掛けるときレンタカーなりカーシェアリングで借りた車にiPhoneつけて目的地目指しますよね。

一般乗用車であれば普通だけどタクシーだと普通じゃないってところに、テクノロジーへのリテラシーの差が感じられるなあと思います。

 

ICTリテラシーと乗客の求めること

ICTという言葉があります。”Information Communication Technology”の略です。

要は通信技術を取り入れたコミュニケーションのことです。

今回のコミュニケーションでいうと[乗客]と[運転手]と[ナビゲーションシステム]間のやり取りをスムーズにすることが乗客である僕の満足度につながっています。

僕個人としては、音声認識を利用した運転手のほうが満足度が高く見えているというわけです。

一方運転手を評価するシステムに乏しいのも一考の余地があると思います。

いくら顧客の満足度を高めようと、その運転手に入る実入りは一銭も増えません。

現に僕もこの音声認識を利用したタクシー運転手さんの名前も顔もなんなら会社名ですらろくに覚えていません。

 

そのため、経営としても広告のような計算しやすい「乗車当たりの収益」を上げる施策を取って当然だと思います。

www.nihon-kotsu.co.jp

ただ、広告枠の利用にいくら最先端のテクノロジーを利用しようと、運転手のICTに対するリテラシーの差は運転手間で開く一方だと思います。

そうなると、このICT領域一つとっても、乗客の運転手による満足度の差が同料金でも大きく異なることになります。

自動運転になったら人を一枚挟まない分、均質化するのかなとも思いますが。

でもそのときって

 

僕のちかくからは以上になります。

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
 

 

chikakuni.hatenablog.com

 

【書評】人工知能の核心

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人工知能の核心

最近藤井聡太四段の登場によって何かと話題の将棋業界ですが、僕の中ではやはり将棋の棋士羽生善治さんです。

羽生さんの著書はどれもわかりやすく、思考について学べるので愛読しています。その中で人工知能への言及が最近多くなっているの感じていたので本著の発売はとても楽しみにしていました。

人工知能の核心 (NHK出版新書)

人工知能の核心 (NHK出版新書)

 

 読み進める中で「学習の高速道路」という言葉が気になったので書いていきます。

 

学習の高速道路化

羽生さんはAIが普及するにつれて起き得ることとして「学習の高速道路」を挙げています。以下引用します。

もう一つ、私が重要だと感じているのは、「学習の高速道路」の問題です。 これはインターネットが登場した頃からよく話していることですが、本質的には将棋ソフトや人工知能についても同じことが言えるでしょう。 もし人工知能のプログラムを使えば、超高速で効率良く学習できるとわかったとします。すると今度は、誰もがそのルートで学んでいくはずです。「高速道路」が目の前にあるのに、わざわざ「一般道」を走る人は少ないと思うからです。

ただ、私が最も強く懸念しているのは、この「学習の高速道路」を走るなかで、大量の情報を得ることに追われて、かえって自分の頭で課題を解決する時間がなくなっていくことです。 実のところ私は、今の若い棋士たちの、未知の局面に出合ったときの対応力が少々落ちている気がしています。 

学習にあたり、近道をするということが果たして本当にいいことなのかという問いを羽生さんはここで投げかけています。

要は、皆が皆最適化された道を歩むことで生じる弊害はないのか?ということです。

これは個人的にもここ数年よく感じることで、結局百戦錬磨のベテランの域にはショートカットして学んだ自分の知識ではかなわないということがよくあります。

かなわないといっても全部が全部できないわけではありません。なんなら大枠に関してはほしい結果に対して、文明や技術さえ進んいればできてしまいます。

差が生じるのはどちらかというと細部なのです。

 

百戦錬磨のベテラン

この記事にとても共感しました。

fromdusktildawn.hatenablog.com

何文か引用します。

新しい技術、新しい分析手法、新しいビジネス手法、新しい開発手法、新しい経営手法のほとんどは、まるっきりゼロから生まれるなんてことはなく、たいていは巨人の肩の上に生まれる。そして、すでに何十年も掛けて巨人の肩の上によじ登り終わったおっさんは、ほんのちょっと手をのばすだけで、すぐに新技術の果実を掴み取れる。これに対してまだ巨人の肩の上に乗っていない若い人は、そもそも巨人の肩の上によじ登るところから始めなければならない。彼らにとって、新技術は、気の遠くなるような彼方にある。

それに、そもそも「技術はすぐに陳腐化するから、おっさんの知識は古くて使えない」というのは、半分本当だが、半分はウソだ。陳腐化してゴミになる知識もたくさんあるが、陳腐化せずに蓄積していく知識も膨大にあるのだ。「いまからシステム開発を始める若い人は、RDBオブジェクト指向デザインパターン正規表現、並列プログラミングなどという時代遅れの知識を学ぶ必要はない」とはならない。

それどころか、むしろ、既存技術を深く理解して使いこなしている人の方が、新技術をきちんと理解し、うまく使いこなすことは珍しくない。NoSQLが流行りだしたとき、それがはっきり現れた。RDBを十二分に使いこなし、そのメリット・デメリット・限界を知り尽くしている人間の方が、NoSQLの意味を素早くかつ的確に理解したし、効果的に使いこなせていた。RDBの理解が浅い人間の方が、そもそもなぜ、どんなところにNoSQLを導入すべきかを見誤ることが多かった。

例えば、家を建てるにしても、石から削って建てる人とお家キット(そんなものないけど…)を使った人では、身につくスキルの幅が違います。

お家キットを利用した人は時間軸の近道はできるものの、いつまでもオリジナルの家を建てられませんし、キットの外の指示が来た時に応用が効かなくなります。

これは自分にも当てはまることで、分析の際、先達のRのコードは使えますが、何かで詰まると解決までものすごく時間をロスしてしまいます。

これは何故この成り立ちでコードが成り立っているかを理解しないまま、作業をすすめているためです。

巨人の肩に手が届いているのではなく、所詮巨人の手のひらに転がされているのです。

 

学習の一般道をあえて走る

結局ビジネスの現場でこういうことが起きてしまっていると考えると、羽生さんの考える「学習の高速道路」化という問題は既に起きていると言えます。

神は細部に宿るとよく言いますが、日々学習し先人の知恵に少しでも近づかないといつまでもその場しのぎに流行り言葉に流される一方だと思う今日この頃です。

自分の場合、ちゃんと数学とプログラミングを一般道から勉強しなさいよってことですね。とほほ。

 

 

僕のちかくからは以上になります。

人工知能の核心 (NHK出版新書)

人工知能の核心 (NHK出版新書)

 

chikakuni.hatenablog.com

 

 

お化け屋敷に一回ゴールから入ってみたい

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最近マンガアプリでよくマンガを読みます。

「紙のジャンプなんてもう重くて読めないわ!」なんて華奢なことを言い始めそうな勢いです。

 

読んでいく中で、各社キーコンテンツにグロテスクなホラー・サスペンスを置いてることが気になり、ちょっと何個か読んでみました。

実はあんまりグロ系の描写好きじゃないんですけどね

 

見つけた仮説

そして一つ仮説が立ちました。

グロ系のコンテンツはお化け屋敷なのです。

入り口でお化けが登場し、うぎゃーとか言いつつ数々のアトラクションを乗り越え、最後まで行き着きたい一心で読み進めていくのが楽しいのです。

(グロ系作品はその最後が腑に落ちない作品が多いことも分かり始めたのですが)

 

そう考えると、連載中なら心配ありませんが、完結作品だとひねくれてる人間は最初と最後だけを読みそうです。

そう、「オチだけわかればいいやー」と言い『ONE PIECE』と『HUNTER x HUNTER』を途中で読むのを辞めたあなたのことです。

 

一本道にしないこと

単行本であれ、アプリであれ、マンガの話数を読んでもらうことが売上につながります。

つまり、そういうひねくれた人たちに過程を読ませたほうが得になります。

その結果、「え?なんでこいつ仲間になったの?」とか「あれ?主人公死んだの?」みたいな展開が生じることになり、そのような作品のほうが熱狂的なファンが多い気がします。

当然意外性を仕込むだけが全てではありません。

最終的に物語がつながる伏線を張り巡らせることが必要になります。叙述トリック的にする必要はありませんが、最終話を「今」としたとき「過去」が、気になる仕掛けが必要になるということかなと思います。

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現に、『ONE PIECE』や『HUNTER x HUNTER』のように伏線だらけと言われてる作品であれば、連載終了後確実に読み返す必要性が生じるでしょう。

そういった作品は、出口までが複雑化しているため、結果として話数を読んでもらえる作品となり、稼げる作品になると仮説立てることができます。

 

一方書いていて思ったのは『水戸黄門』のような勧善懲悪の「お決まりのパターン」がほしい時もあるよねということです。それに関してはまた今度書こうかなと思います。

 

僕のちかくからは以上になります。 

HUNTER×HUNTER 34 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 34 (ジャンプコミックス)

 

chikakuni.hatenablog.com

 

 

【書評】終電ごはん

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最近食べ物とスポーツと広くとってコンテンツにしか興味ない気がしてきました。分野的にまあまあ稼げる気しないですが、消費経済はなんとか回せそうです。苦笑。

 

健康でありたい

さてさて、時短×料理に目がない私は話題の『終電ごはん』読んでみました。

終電ごはん

終電ごはん

 

最近のトレンドはもっぱら「健康的な暮らし(だけど手はかけたくない)」だなあと思っていて、常に健康的でいたい自分としては喜ばしい限りです。

というのもなんで自炊するかというと、自分の場合単純で外食続くと色々身体が壊れ始めるからです。

片頭痛&群発頭痛持ちかつアトピー持ちで肌弱い、ちょっと食べ方間違えるとすぐ寝込みますし、肌ボロボロになります。

ニキビもできやすくて、ポテチ食べるとすぐニキビできます。

ニキビなんてあってもなくてもたいして変わらない顔立ちですが、自分の心象的にはないほうが心地よい。

そんなら自分で多少の手間惜しんでそういうものが生じにくそうな食べ方をしようとそういう考えでございます。

外食でも場所選べば大丈夫だと思います。友達少ないと食べるところも限られる。血涙。

 

食に第三の選択肢の登場?

読んだ感想としては、難しくはないけど、意外と一品一品手かかってるなという印象です。

本当にずぼらな人や料理したこと無い人は真似出来ないかなーと思いますが、料理嫌いではないけど毎日は作れないくらいの人であればちょうどいいくらいの難易度ではないでしょうか。

 

ただ本当に面倒な人はこれとか使えばいいんじゃないかなと思ってしまいます。一回飲んでみましたが、割と美味しいですよ。

www.comp.jp

ただ何となく人道に反してる気持ちがしてしまいうのはなんででしょうかね。

こういうのがメイン食になる日ってくるのでしょうか。

 

『採用基準』の伊賀泰代さんも食文化変わると仰ってるみたいですね。

クックパッド社に”ちきりん”が社外取締役就任で広がる混迷|やまもといちろうコラム - デイリーニュースオンライン

これを読むとデリバリーが主流になるか、今のずぼら飯が続くか、って感じかと思いますが、第三の文明の利器としてこういうcompみたいなものがくるのか

 

まあ食べないより食べたほうが絶対いいしできることから始めましょう、それで身体壊れなきゃOKだと思う次第です。

個人的にはあたたかいごはんが食べたいので『終電ごはん』ありです!

 

僕のちかくからは以上になります。

終電ごはん

終電ごはん

 

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中間のコンテンツ論

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コンテンツのちかくに

最終的に何がやりたいかなと最近よく考えますが、どんな形であれコンテンツの近くにいたいと思っている気がします。

 

一社目に入る時に本が書きたいと宣って、当時の社長に「いやいまから書けよ」と言われ、「僕の人生にはストーリーがないからこの会社の創業期を書かせてくれ」と言った記憶があります。

僕自身もいま思い出したので、誰も覚えてないでしょうが。

結局いま自分のストーリーを書いてるので、結局先祖還りして戻ってきたなという気がします。ブーメランブーメラン。

 

トーリーはいつもちかくに

何故そう思ったかというと、恐らく大学時代数々の映像作品の近くにいたからだとは思いますが、授業で観せられる映画のほとんどはストーリーが逸脱しててつまらんかったなという印象があります。

余談ですが、僕は人生で最高につまらんかった映画はと聞かれたら、大学の授業で見た『デッドコースター』を挙げるでしょう。

それに比べて通学電車で読む小説は面白いこと。古典文学もそれなりに読みましたが、どちらかというと東野圭吾等の商業性の高い作家の本をよく読んでいたなと思います。

その時からどこか商業性のない創作物には違和感を感じていたような気がします。

かと言って、MARVEL三池崇史が撮るような商業性のみに特化した映画が好きかというとそうでもありません。

なんというかその「中間」が好きでそれってどこなんだろうなとずっと思っていて、その過程で広告の中間具合に嗜好が寄り添っていったのかなと思います。

 

広告は誰のちかくにもある

SONYのこの広告は最高にかっこいいです。


Sony Bravia Ball Bounce Commercial

言ってしまえばこのCMはストーリーらしいストーリーはないのですが、”Color like no other”で全てが言い表されてしまう潔さが粋です。

この「誰にでも伝わる」かつ「芸術性が担保された」コンテンツという部分にものすごく惹かれた記憶があります。

 

映画はちかかったり、とおかったり

つまらなかった映画に共通してたのは「分かるやつに分かればいいよ」というスタンスです。

たしかにそういう映画はカット割りをかなり凝っていたり、現場のスタッフのリソースがかかったものだったりします。

ただ、観るものとしては学習しないと享受できるであろう芸術性とやらが殆どわかりません。

 

一方、いまの商業性の高い映画は出版物を原作とした実写化がメインです。

どの作品にも共通しているのは、キャスティングで話題性をとって、コストをかけたCGやロケ地で大味にまとめあげるというところです。

もちろん一定の収入が見込めるものの、その殆どは”原作レイプ”とファンから揶揄されています。

収益重視の観るに堪えない作品ばかりが集積されて、大箱の映画館の上映作品の質自体は落ちてしまっているなと思います。

ただそのくらいじゃないと生き残れないんだろう映画館のお財布事情もひしひしと伝わってきます。

 

「中間」のちかくにいたい

僕の中で好きなのは「中間」という気持ちは変わりません。

「噛んで味が出る」ではこの可処分時間の奪い合いの世の中へのマッチングが悪く廃れていく一方だと思います。

一方「大味にまとめた」作品だけが増え続けるのもどうなのでしょうか。

それこそがコンテンツだと思われるとしたら寂しいものです。

 

「うちの子は映画を観られない」と仰っていた方がいました。

「見る(観るに非ず)」習慣がYouTubeから始まっているから我慢出来ないそうです。

それはそれで映像を学んだ身として、問題を感じます。

コンテンツには必ず「中間」があるのです。

 

 

と偉そうに宣いながら先日実写版の『銀魂』観て普通に面白かった僕です。

 

僕の近くからは以上になります。

映像と身体―新しいアレンジメントに向けて

映像と身体―新しいアレンジメントに向けて

 

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コミュニケーションの中で生まれるバグ

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イクラはガバッと食べたい

鮭の卵であるイクラの話をします。

ノリスケさんのお子さんの話ではないのであしからず。

 

イクラって一気に食べたほうが美味しいですよね。

一粒一粒箸でつまんで日本酒をクイッといくのが粋だと言う方がいるのは理解できるものの、飲み始めはやっぱりガバっといきたいです。

 

先日居酒屋に複数人で行った時の話です。

「おすすめメニュー」にイクラ刺盛り合わせがあったので頼んでみました。

「おすすめ」と打ち出すくらいですから、おそらく最初のオーダーで頼む人が多いメニューではないでしょうか。

少しすると、「これは緋色の宝石箱やー」といった具合に盛られたイクラが運ばれてきました。

これは美味しそうだと垂涎の思いだったのですが、宝石箱を開ける鍵であるスプーンの姿はそこにはありませんでした。

 

「すいません。スプーン持ってきてもらっていいですか?」

とお願いしたところ、ちょっとしてからスプーンが1つだけ運ばれてきました。

これではスプーンで皿に取り分けてから一粒一粒を箸でつまむことになります。

そうなるとガバッといきたい僕の要望は永遠に満たされないのです。

結局もう一度店員さんを呼んで、人数分のスプーンを用意してもらいました。

 

僕らはいつの間にか()を定義をしている

おそらく店員さんは皿に取り分けるための手順を満たすため、スプーンが必要だと捉えたのでしょう。

僕の読み取ってほしかったのは、

「(人数分の)スプーンを(いくらを一気に食べるために)持ってきて」

という自分の気持ちの部分である()内の部分です。

 

プログラミングの世界だとこのような定義が明確にされていないと意図した通りに動かなかったかったり、止まってしまったりします。

要は、バグが生じるということです。

僕は非エンジニアなのでコードを書くことはほぼないのですが、分析でも「背景」から読み取った「ノイズ」を潰していく作業が必要になります。

この背景で理解できているかどうかが分析の精度を上げていく上で必要になることだと考えています。

適切な解を出すことで実際に行動をおこしてもらうことが重要だと考えているためです。

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行動にバグを生じさせない

イクラの話でいくと、店員と客双方に障害が生じています。

店員はもう一度スプーンを取りに行く必要があり、僕らは店員さん呼び戻す間、目の前のイクラがお預けになります。

お互いの一連の行動の流れに一種のバグが生じているということです。

 

ただ、日本の接客業は過剰サービスとも言われます。

サービス料をもらってるわけではないのに、色々しすぎだと。

それはそれで正しいと思います。僕も「お客さん」のときは多くを求めません。

 

ただ、自分が人を動かす場合は別です。

ミスコミュニケーションが生まれてしまうと、大きな損失につながることも考えられます。

行動のバグが生じないように日々()の中を読み取り、()を作らない意思を人と関わる上ではもっておきたいと思う次第です。

 

僕のちかくからは以上になります。

教養としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)
 

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統計学は揺らぎを許容して振れ幅を示してくれる

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現実は揺らぎのなかにある

僕なんかが統計学を語るのは100年早いと自負しているのですが、少しでも統計学をかじると物事が俯瞰して見えるようになると思います。

それである種の諦観を覚えたりするので、少し冷めてるように感じられることも多々あるのですが、そこにデータさえあれば大体のことは統計学に沿って説明ができます。

(その説明するための手法を学ぶのが大変なのですが)

 

フライドポテトを考える

統計学入門としてよく聞く、フライドポテトの話があります。

うろ覚えで書くと以下です。(※下部に参考リンクあり)

問題です。フライドポテトが10本で20センチになりました。では、100本ある時全体の長さは何センチになるでしょうか。

 

A.200センチ

 

…と答えてしまうのは算数の世界です。

統計学はもう少し現実世界に即していて、「ポテト1本の長さが2センチである」ことが定義されない限り、1本あたりの長さに誤差が生じる可能性があると考えます。

 

実際に、ファーストフード店に行っても、ポテトの長さが均一なことはないですよね。

僕はファーストフード店で働いたことはないのですが、大量生産大量販売の商品を高速でさばくと考えた時、基準と成り得るのは1パッケージあたりの「重さ」だと思います。

このようにオペレーションを鑑みると、11本の「長さ」の精度を求めているのは難しいのではないかと仮説を立てることができますね。

あとは実際の数字から証明していけばいいのです。

データ抽出後は検定かけてもいいし、偏差値求めてもいいしヒストグラムだして終わりでもいいしとやり方は色々あると思います。

ハンバーガー統計学にようこそ!

物事を一元的に捉えてしまうのは危険だけど

現実はこのような「揺らぎ」の中で成り立っています。

算数の考え方のように、一つの法則に対して、答えは一つといった一元的な成り立ちではないのです。

ビジネスの場で答えを一つに絞り込み、言い切ってしまう人がよくいます。

ある種ビジネス本では鉄則として語られている手法ですが危険な場合も多々あると思います。

金銭が絡む場合は特にそうで、誰もが損をしたくないと考えています。

もし過去に言い切った通りになったとしても、次にそのようになる保証はありません。

ましてや同じ要素が揃うことは機械と機械でもない限りほぼありえません。

 

ただ、統計学を用いて分析の精度をあげていく作業はキリがなく時間はいくらでもかけられるというのも事実です。

また、組織としてアナリストやデータサイエンティストが意思決定に携わっていることもまだまだ少ないといった背景から言い切りが良しとなってる側面はあると思います。

 

下振れはまずいが上振れは良しとなる

USJハリーポッター誘致の例が最近だと有名な例かもしれません。

確率思考の戦略論  USJでも実証された数学マーケティングの力

確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力

 

簡略的に書くと、ハリーポッターの誘致にあたって、データサイエンティストの予測が最後の一押しとなり誘致したところ、結果としてそれを上回る集客に成功したというデータを使った意思決定の好例です。

ここで注目してほしいのは予測に対して「上振れ」していることです。

言葉選ばず言い換えれば、現実世界では「誤差」が生じたということですね。

著者の今西さんが、分析者として少し弱めの読みで意思決定者である同著者である森岡さんに提示したという旨を残しています。

森岡さんから直前に提案がありました。お互いに手のひらに信じている数字を書いて「せーの」で見せ合いましょうと。そして先述したその幅の中で思案した結果、本当の現実的な予測を220万と考えていた私は、手のひらに敢えて保守的で低めの「210万人」と書いたのです。そしてお互いに見せ合いました。彼の手のひらには太くはっきりと「240万」と書かれてあったのです。お互いにニヤッとしました。彼は「200万は固い」と踏んだのでしょう。

ここまでの過程で自分では到底扱えない数式や思考法が数多く使われています。

読んでいて勉強になりっぱなしでした。

それをおいても、どんなに精度高く分析をかけても現実という「揺らぎ」の中で最大最小の間で「振れ幅」が生じるということがわかったことが最も収穫だったかもしれません。

(同時に弱めに読むのって自分だけじゃないんだと安堵もしました。)

 

言い切るのもあながち間違いではないのかもしれない

言い切る姿勢のいいところは、必ず行動が生まれることです。

諦観した上でせせら笑っていても、何も行動は生まれませんし現実は変わりません。

どんなに時間をかけて分析しても外れる時は外れるというのは天気予報をみれば明らかです。

ただ、USJの例のように社運をかけた莫大な資金がかかる意思決定は統計の力を使って振れ幅を踏まえた上で実施有無の判断するのが望ましいかなと今は思います。

統計をかじり、現実の揺らぎを知ったからこそ思うことの一つです。

 

僕のちかくからは以上になります。

確率思考の戦略論  USJでも実証された数学マーケティングの力

確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力

 
マンガでわかる統計学

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「それ、根拠あるの?」と言わせない データ・統計分析ができる本

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chikakuni.hatenablog.com

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