【読書感想】内向型を強みにする
あーやっぱりそうか
先日こちらのエントリーを読んで興味を持ち、軽い気持ちで本著を読んでみたのですが、ドツボにはまってしまいました。
こちらのエントリーに概要は書いてあるのですが、本著には内向型人間とはなんたるかから如何に生き抜くかについてついて書かれています。
少し書いていきます。
内向型の人間とは?
そもそも内向型の人間とはどんな人間なのでしょうか。
本著を読み以下の解釈をしました。
- アイデアや感情イメージからエネルギーを得る。
- 集団から一歩距離を置いて考える。
- 濃度高く体験を享受し狭く深く考えたい。
- 詰め込まれるとパンクする。もしくはどこかに歪みが生じ始める。
- 自分のペースから逸脱しないようにセルフマネジメントがものすごく重要
車に例えると、突き詰めた一つの能力は高いけど、めちゃくちゃ燃費悪いランボルギーニみたいな感じかなと思いました。それに全力疾走促したらどうなるかというと、すぐガソリンきれちゃうんですよね。
自分は内向型の人間なの?
本著の序盤には自分が「外向型」か「内向型」がわかる30のチェックリストがあります。こちらのチェックリストは導入の意図があるため多少バイアスがかかっている可能性もありますが、僕はそのチェックリストの27/30当てはまってしまいました。ド内向型の人間じゃんってことです。
一例として、ここでは本著冒頭の簡略版を一部抜粋します。当てはまったら内向型の気質があるかもしれません。
●自分ひとりか、二、三人の親しい友達とくつろぐほうが好ましい
●たとえ楽しいことでも、外で何かしたあとは、休息をとる必要がある
●無口で冷静に見え、観察するのが好きである
ちなみに上記3点に関して僕は全て当てはまります。
社会人的にこれ大丈夫かと少し気落ちしましたが、思い返せばあれもこれもとつながっていきました。
内向型は人間関係に対する燃費が悪い
自分は人間関係に対してとても燃費が悪いです。決して人間関係を築くのが嫌いではありません。でも大人数で一定の時間いるとどんなに親しい仲でも疲れてしまいます。
本著では頻繁に「刺激過多に陥る」という表現を用いますが、まさしくそうなのです。
集団で放っとくと一人ひとりの話した言葉や所作を延々と考えてしまって、思いを巡らせ続けてしまうことがあります。
自分の発言をあの人気にしてたかなとか延々と考えて憂鬱な気持ち陥っていることも頻繁にあります。大抵は自分の気にしすぎで何も問題ないのですが。
逆に、内向的な能力がよく働く場面としては、こんなことがあります。
例えば、会議で「あの人そんなこと言ってた?」みたいなワードを拾えてて驚かれたり実際にそれが提案の役に立ったり、前職の時は「全然見てなさそうなのに色々な人のことを見てて驚く」みたいなことをよく言われてました。
あとその中で「あなたとなら2人で延々と話せる」と言ってくれる方もたまにいます。
このように、僕は一人ひとりとお話したりコミュニケーションを取ることは嫌いじゃないですし、むしろ好きです。
ただ、各々を個別化して見てしまうところがあるようで、大人数だとエネルギーを使ってしまってる気がします。
なので、休み休みじゃないとしんどいんです。1人になりたい日はそっとしててほしいのです。こんな風に思ってるのにそれでもまた誰かといたいと思うのは本当不思議な事だなと思います。
内向型人間はあなたの側にも存在している
ここまでの内容を「ただの言い訳だろ」と受け流してしまう人がいることも重々承知していますが、多様化された社会を機能させるのにはこのような存在を認知する必要があると思います。
人間関係は常に凹凸です。人間関係を繋げるためにはこういう凹んだ人たちも必要なんじゃないかなと自分を励まして締めようと思います。
僕のちかくからは以上になります。
内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)
- 作者: スーザン・ケイン
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【読書感想】プロフェッショナル・プレゼンテーション
プロフェッショナル・プレゼンテーション
データを使う仕事をしている手前、人にレポーティングする機会は多いです。事業会社であれば上長、広告代理店であればクライアントと報告する相手は変わりましたが、伝えるべき内容、つまり「メッセージング」する内容は殆どかわりません。その中で参考にしている本が今回紹介する『プロフェッショナル・プレゼンテーション』です。
プロフェッショナル・プレゼンテーション (アクション・ラーニング・シリーズ)
- 作者: 土井哲,高橋俊介
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2003/02/01
- メディア: 単行本
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タイトルの通り、プレゼンテーションそのものにフォーカスを当てた内容となりますが、個人的には物事を伝えること=プレゼンテーションだと思っているフシがあるため、今回は本著で説得的プレゼンテーションとして述べられている論証の作り方について書いていきたいと思います。
3つのメッセージ手法
本著では論証の作り方として以下の3つのメッセージを紹介しています。
-
事実メッセージ
-
評価メッセージ
-
政策メッセージ
それぞれについて例をあげて簡単に説明します。
事実メッセージ
事実メッセージとは、事実を伝えるための伝え方です。この例では「山田さんのテストの点数が平均点以上である」という事実を伝えるために、各教科の結果を論拠となるデータとして提示しています。このデータがあれば伝えたい事実は疑いようがありませんね。
評価メッセージ
評価メッセージとは、物事の評価をするための伝え方です。まず評価の定義を決めます。ここでは「山田さんが優秀である」ことを伝えるために優秀の定義を2つ定めています。この定義をクリアしていれば山田さんは優秀であると言えるということです。定義を先に定めることでデータの抽出も明確になりますね。
政策メッセージ
政策メッセージとは、提言を与えるための伝え方です。提言に対する必然性を述べ、その効用を伝えます。人を導くためにメリット(とデメリット)を伝えるというわけです。それに対して実現可能性がなければ意味がありません。それを述べることで政策メッセージは完成します。
ただ、あくまでここまでは論理力の構成です。提言するためにはそれに加えて説得力が必要になります。
[説得力]とは、[論理力] × [判断基準]であると本著では定義しています。つまり、評価対象となる人が何を重視しているか把握していることが重要になります。どんなに論理が完璧でも、求めていないものを与えていれば無意味ということですね。ビジネスの場で、ボタンの掛け違いが起きるパターンはこういう場合が多いです。
レポーティングすべき内容とは
本著を読んでからレポーティングに対する流れは以下の内容を意識しています。
現状⇒課題⇒対策という一般的な空・雨・傘のフレームを意識するのは当然のことですが、それを3つのメッセージ手法で解釈すると以下の形になります。
3つのメッセージングを用いながら、論理を構成することでレポーティングの納得度が高まります。その中でも特に、政策メッセージを厚めに構成することで次の展開を議論する時間が多く取れます。ビジネスは前に進めなければ意味がありません。レポーティングもそれを意識した形にすると良いと考えています。
おわりに
ここまでは自分の経験に基づいた解釈が多く含まれていますが、本著はプレゼンテーションを体系的に学び直すのに相応しい内容となっています。ビジネスのコミュニケーションにおいてプレゼンテーションは避けて通れない道です。本著でプレゼンテーションの手法を改めて学んでみるのはいかがでしょうか。
僕のちかくからは以上になります。
プロフェッショナル・プレゼンテーション (アクション・ラーニング・シリーズ)
- 作者: 土井哲,高橋俊介
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chikakuni.hatenablog.com chikakuni.hatenablog.com
【読書感想】クイズで学ぶデザイン・レイアウトの基本
クイズで学ぶデザイン・レイアウトの基本
僕はデザイナーでもなんでも無いのですが、Webデザイナーや動画製作者と関わることは機会は多いです。
なので会話にあたって自分の視点を伝える必要があります。
その精度がを高めたいなあと思い、今回この本を読んでみました。
デザインは基本的には説明できるものだと思っています。
この本はAとBのクイズの正解を理論を元に解説してくれます。
デザインに「正解」というとなんだか違和感がありますが、正解に対する理由を明確に示すことで再現性を高めていくという意図であれば問題ないかなと思います。
何よりも大事なのは正解に対して「説明できる」ということです。
わからないからと言って「いい感じで!」で済まさない
クイズの例としては映画のポスターはAとBどっち適切ですか?
という問を元にビジュアルを見て、AとBを選びます。
その際に何故Aを選んだのかを自分の中で説明できなければなりません。
これは普段の制作物に関わる上でも生じることです。
依頼したデザインが想像とは異なる仕上がりででてくる。
こんな経験はないでしょうか。これは自分の感覚を言語化できていないからです。
デザイナーと依頼者である自分の間に共通言語を持つことに意義があると僕は思います。
自分がデザイナーではないからって何事も「いい感じで!」済ませるのではなく、技術に歩みよる意識を常に持っていたいと思う今日この頃です。
僕のちかくからは以上になります。
イキな男
どうせならイキな男になりてえなってのが最近思うことです。
銀魂とか見てるとやけにイキなこと言うじゃないですか、あの天パーダメ男の銀さんが。
本来の「意気(粋に非ず)」の意味とは少し離れるのですが、僕にとって「意気」は、”どこか抜けてるけど、洗練された心や所作の在り方”というのがしっくり来ます。言っちゃえば寅さんですよ。日本の「イキ」と言ったら。
そんな僕が最近イキだなと思ってるのは近所のラーメン屋の店主です。
家が近いので何度か通ってるうちに病みつきになってしまい、足繁く通ってるお店の一つです。ラーメンの味はもちろん保証付きですが、店主がどこか抜けてていいんですよね。
例えば、ポケモンGOが流行ったときには「ボケモンはここにいます」と張り紙張っていましたし、炊飯器入れ替えたときは包み隠さず「これで炊いてるから粒が立ってます」と張り紙をしていました。
抜けてるというか、あっけらかんとこういうこと言える様がいいんですよね。ただただ僕が三枚目を好きなだけかもしれません。
この前も小気味良いやり取りがあったので備忘録として残しておきます。
お客:「ごちそうさま。冷やし(ラーメン)いつまで?」
店主:「赤とんぼが飛ぶまでです」
お客:「じゃあ網張っときますわ」
あれ…?客もかっこよくないですか?
こんなイキな男に僕はなりたい。
僕のちかくからは以上になります。
無意識という轍
何事も体験してみないとわからない!を信条にしたいなと思っていて、簡単にできることはできる限り体験してみることにしています。
今回は話題のBASE PASTAを試してみました。
「完全食」という言葉を耳にしたことがある方も多いと思います。簡単に言うと、栄養価がパーフェクトな食べ物です。ソイレントのような粉末形式の物が先行していますが、このBASE PASTAは固形物の体を取っています。個人的にはこちらのほうがオーソドックスになるのかなと思っています。
習慣にないものは馴染まない
「人間の行動の97%は無意識である」という統計データがあります。夜になったら寝る、朝起きたら歯を磨く、水の中では息を止める。これら経験から身についた行動を無意識のうちにこなしてると言えます。つまり、殆どの行動が習慣から行われているということです。禁煙など悪い習慣を変えるのに苦労したことがある人も多いと思います。そう考えると、人間の行動を書き換えるのは骨が折れることだということがよくわかります。
ここで「食べる」ということを考えてみると、ソイレントのような粉末型の食べ物を口に入れるという習慣は僕にはありません。プロテインのように運動後とタイミングの決まった新しい習慣であればまだしも、夕食の代替品となると行動の書き換えに時間にかなりの時間を要しそうです。その意味合いでいうとBASE PASTAのような、習慣の書き換えを要さない新たな食べ物のほうが根付くイメージを描くのは容易だと言えます。
ちなみに今回はペペロンチーノにしていただきました。イタリアの塩むすびというだけあってペペロンチーノは抑えておきたいメニューですね。
レシピはこちらのブログを参考にしました。
既視感ある未来こそ進むべき道
近年先進的であると同時にどこか不自然なものが続々と世の中に登場していると思います。VRが最たる例です。高度なテクノロジーだと思うワクワクする気持ちとは裏腹にその不自然さにどうしても目がいってしまいます。それはいままでの習慣からかけ離れたものであるがためです。携帯電話の発展という下地があったスマホの時とは訳がちがうのです。前述の通り、素地がない未来を作るにはを習慣を作る必要があります。その遠回りをするか、習慣に溶け込ませるかが、分岐点になる気がしてならない今日この頃です。人が通った轍を無視しすぎると人は動かないのです。
完全食の市場がどの程度盛り上がるか僕にはわかりませんが、無意識に栄養価の高いものを口にできるならそれはとてもいいことだなと思います。まだちと高いので市場が活性化して購入価格帯まで落ちてくる日がくるといいなと思います。
僕のちかくからは以上になります。
金儲けより人儲け
僕は前職を辞めて独立するときの送別会で「皆さんから5000円ずつ集めて僕はその分働いて還元します。」と言ったことがあります。
「あいつまた酔ってなんか言ってるぞ」と思った方が殆どだったかと思いますが、僕は大真面目でした。
それがこれからの時代感覚になるという自信があったからです。(今言うとかなり後出しジャンケンっぽいですが笑 )
そんなことももちろんできてそれより汎用性高いアプリがリリースされました。polcaです。
辞めるのがあと1年遅ければ送別会後これでカンパ募ってたことでしょう。コミュニティからの信頼をキャッシュ化して別のもので還元する。それが今後スタンダードになっていく気がしてなりません。
価値の本質
ただ、よくよく考えてみるとこのpolcaで起きてることはいままでも普通に起きてたことだと思います。
男性の皆さん、女性とご飯食べる時会計を多く持ったりなんなら全部おごったりしますよね。それと同じだと思うんです。
この場合「その人といられる時間」に対して「会計を持つ」価値を感じていることになります。
この順序関係が逆になってるだけだと思うんですよね。
「女性が私と今晩ご飯ご一緒できる権利!」という形でファンディングしてしまうとなんだかお水やそっちかと思ってしまいますが、そこに信頼関係が成り立っていればありだと思うんですよね。
ゆるいコミュニティの時代
Twitterに良い例が落ちてました。
自社の新サービスを、さっそく彼氏との「いちゃいちゃツール」として使用。
— たけべ ともこ (178cm) (@TA_KE_BE) 2017年8月11日
プロジェクトはURLを知っている人しか見れないので、彼氏にだけ送りました。支援してくれた。ふふふ。
polca(ポルカ)https://t.co/g8oKIcU5lS#polca @polca_jp pic.twitter.com/wm0oI5U4be
この場合「彼氏彼女」と強い信頼関係が成り立っていることがわかりますが、この信頼関係がゆるくソーシャルグラフを通じて広がっていくのがこれからなんじゃないかなと思います。
その先は既存の通貨が機能しなくなるんじゃないかな。信頼と信頼の交換。
本当の意味での「人儲け」が始まるのではないでしょうか。
↓↓ちなみに募集してますw↓↓
僕のちかくからは以上になります。
27歳が考える読書感想文の書き方
世間は夏休みみたいですね。夏休みの宿題は31日にやりきるタイプでしたが、とりわけ苦労したのが読書感想文です。計算ドリルとかってやれば終わると思うんです。読書感想文は自由度が高い分、うんうん唸って血反吐を吐きながら書いた記憶があります。
ただ、今ブログを書いてるとあの時の苦としていた量の読書感想文を平気な顔で書いている自分がいます。それはタイピング技術の進化も勿論ありますが、単純に自分の中にノウハウがあるということでしかないかなと思います。
一応学生時代も読書感想文や税の作文書けば学校代表くらいにはなれてましたが、その時も型にハメて書いていたにすぎません。むしろ大切なのは普段何を感じているかです。少し書いていきます。
読書感想文とは?
そもそも読書感想文ってなんですかね。どうやって書いてましたか?え?あとがき全部写した?そんな労力をかけられるならもっと楽に書けます。いつの時も人が苦痛なのは無思考の作業です。
本の感想なんてない?そうなんですよ。誰かが書いた本に感想なんてないんです。あるのは「そうだよね」か「それはどうかなあ」程度のもんです。じゃあ何を書けばいいのでしょうか。ここであえて宣言しましょう。読書感想文とは「生活体験作文」なのです。
読書感想文は自分の体験を伝えるだけ
先程も書きましたが、読書に対する感情を形容する言葉を書き連ねたところで文量はたかが知れています。
例えば、遠足に行った時の作文も「遠足に行きました。楽しかったです。」では味気ないし書き直しを促されますよね。もっと詳しく書きなさいと言われて「遠足」から「楽しかった」までの出来事を文章内に加えて及第点をもらうといったところでしょうか。これはあった出来事を詳細に文字に起こしていくだけなので時間と語彙力さえあれば簡単ですよね。
この遠足の作文と読書感想文の違いは、感想を書く対象の「本」の第一人称が自分ではなく筆者や物語の主人公になっていることではないでしょうか。遠足のように自分が体験したことではなく、筆者の体験や物語の主人公の体験についてどう思ったかが求められる。そりゃあ読んでみて「面白かった」とか「つまらなかった」程度しか出ないってもんじゃないでしょうか。自分の体験じゃないんですもん。
ただ、この「人称」に気づいてしまえばしめたもんです。裏を返せば自分を第一人称にした文章にルールを変えてしまえば書けるということに気づけるからです。
読書感想文のポイント
実際にどのように文を書いていくか簡単に図に起こしてみました。
この流れで書いていけば読書感想文、もとい、生活体験作文は基本的に完成します。
出来事に対する自分の立場を決めて、その論拠を自分の体験から示す。そしてそれを踏まえて今後自分がどうしていくか書く。それだけです。
大切なのは第一人称を「本」の誰かではなく「自分」にして書くこと。これが全てです。
たとえ桃太郎であっても読書感想文は書ける
桃太郎を例にして少し書いていきましょう。
「桃太郎がきびだんごを利用して犬雉猿を仲間にした(文中の出来事)」のことについて読書感想文であればまず、それに対する立場を示します。
桃太郎は各動物が「きびだんごがほしいから」と言ってそれを差し出し仲間に引き入れたが私はその行動にやや疑問を感じる。それはこれからの長旅に対して桃太郎が短期的なメリットを提示しているにすぎないからだ。(文中の出来事に対して反論の立場を示す)
次に論拠となる自分の体験を書いていきます。
自分も転職や独立の誘いをいただくことがある。その際にもっと稼ぎなさいよと言ってくださる方がいるのは本当にありがたいかぎりだ。ただ、その時享受できるメリットが金銭だけだとしたら、判断を下すには早計だと思うのだ。何故かと言うとその「きびだんご」を得るまでの苦難と未来が不明瞭だからである。そこを説明できないようであれば、自分は例えいくらきびだんごを積まれても動かないだろう。桃太郎はしっかりと鬼退治へのリスクや将来性をを説明したのだろうか。鬼に殺されることをしっかりと踏まえた契約だったのだろうか。また、目的を達成した時の報酬は示されているのだろうか。この一種の合戦が終わった後も動物たちの能力は必要なのだろうか。(自分の体験を中心に展開する)
この人だいぶひねくれてますね。何か嫌なことでもあったのでしょうか。
この後今後の自分について書いて締めます。
桃太郎がきびだんごを利用したというのは正直いただけない。ただ、事実、桃太郎と動物たちはあの鬼を討伐しているのだ。これはこの物語の目的が達成されたことを意味する。これは桃太郎も動物達も並大抵の意志力ではなし得ないことだろう。
そう考えると、世の中で何か成すのは理屈じゃないのかもしれない。ここまで読んでもらえればわかると思うが、私はよく理屈屋だと言われる。そんな理屈屋の自分が決心を固める時の一つの基準がある。それは言葉の中のコトを成し遂げるための意志の強さを感じるかどうかだ。ひょっとすると犬雉猿も桃太郎の意志の強さに惹かれていたのかもしれない。きびだんごは二の次で桃太郎がこれから作る世界に希望を感じていた。だから危険を顧みずに飛び込んだ。自分は桃太郎をそんな物語だと思いたい。そうであれば納得できる。そして、自分もそんな桃太郎を見つけ、世界を共に変えたいと思う。(物語を受けた今後の自分)
かなり強引ですが、桃太郎の読書感想文はこんな感じでいかがでしょうか。ただこれは学校に提出しないほうがいいですね。小学生であれば、読書感想文を評価するのは学校の先生です。ベンチャー育ちの自分とは経験が違い、こんなこと書いたら鼻で笑われることでしょう。
これも文章を書く上で大事なポイントなのですが、「評価者が誰か」意識することを忘れないでください。お互いの身の丈にあったこと書きましょう。なんならちょっと寄り添ってやるくらいの気持ちで書くといいです。
これはちょっとしたテクニックですが、評価者は良い変化を求めるものです。いつの時代だって人を感動させるのは更生に向かう物語です。グッドウィル・ハンティングだってルーキーズだってその更生する姿に人々は感動を覚えるのです。
読書感想文は決して難しくない
ポイントをまとめると、
- 文中の出来事の自分の立場を示す
- その立場を示す理由となる自分の体験を書く
- 読後の自分の変化を書く
- 自分主体で書きつつも評価者に思いを巡らす
といったところでしょうか。
決して難しく考えず、普段の自分のことを人に伝えるんだという意識を持って書くことが大切です。夏休みの宿題と言われると嫌ですが、生活体験作文として普段の自分を本というフィルターを通して語る機会だと思うと少しやりがいを覚えられるかもしれませんね。
僕のちかくからは以上になります。
- 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/10/09
- メディア: 文庫
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消費者は崇高な存在ばかりではない
学問的な正しさと商業的な正しさは必ずしも一致しないなと思うことが多々あります。
学問的な正しさとは教科書的に伝承されている理論に沿うことで、商業的な正しさはシンプルに売上増加を指すとします。
マニュアル通りに指しても商売では必ずしも勝てないよねってことですね。
僕はよくコインランドリーを利用します。
今住んでる家のベランダは午前中で日照りが終わってしまい朝寝坊さんの自分には乾燥機が必須です。
なので家から2分ほどの距離にあるコインランドリーの乾燥機を重宝しています。
乾燥機付きの洗濯機買ったほうが安い気もしますが、粗大ごみとなる大型家電はなかなか手が伸びませんね…。
乾燥一回に対して300~400円消費します。300円だと湿り気を感じ、400円だとこんなに必要だったかなと思うなんとも微妙なラインです。
なのでコインランドリーに行くたびに複数の百円玉が必要になるのですが、そのコインランドリーには両替機がありません。
手元に百円玉の用意があれば問題ないのですが、毎回毎回となるとそうもいかずこれは結構不便です。
それで手軽に崩せないかなーと見回すと、自販機が入り口にあるんですね。おそらく経営もコインランドリーの方がしているのでしょう。
毎度毎度こんなん置くなら両替機置けよと思うのですが、文句も言ってられずそこでジュースを買ってしまいます。
経営者的にはユーザーの利用あたりの売上が120~150円上がるわけですから美味いもんです。
コインランドリー経営者的にはビジネスのセカンドチャンスですが、ユーザー的には不便につながるというわけですね。
これは学問的な正しさでいうとNOと言われる手法です。
一般的には「ユーザーの満足度を最大化してファンになってもらう。そうすることで生涯生産を高める」のようなことが述べられます。ユーザーが嫌がることに対する将来的な損失を考えましょうということですね。
この理論は勿論正しいのですが、このコインランドリーの場合は異なります。自分の行動を鑑みると何度もこのコインランドリーに通っているのです。
両替機がないことによって利用を辞めるユーザーも勿論いると思います。ただ、この場合は地の利が物を言う気がします。
現に他のコインランドリーは近所にあります。さらにいうと今通っているコインランドリーよりも清潔感があり、両替機もあります。ただ、そこは徒歩8分と4倍の時間がかかってしまいます。そうなると「まいっか」という気持ちでいつものコインランドリーに足が向いてしまうのです。たかだか120円程度の不便は習慣に勝てないということですね。
このように単価が低ければ低いほどに「まいっか」の精神は働きます。迷いは金銭的な重みが小さければ小さいほど小さくなるのです。そうなると両替機を置かず、自動販売機を置いたほうが良いという算段になりそうです。塵も積もれば山となる。
顧客の満足度を高めるのももちろん重要です。ただ、商材利用の過程までに生じる「迷い」の大きさを考慮した上で適切に施策を打たなければ、ひょっとすると損につながることもあるかもしれません。
僕みたいな「まいっか」がまかり通る消費者は学者さんが考えるほど崇高じゃないのかもしれませんね。
僕のちかくからは以上になります。
サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている (マイナビ新書)
- 作者: 西内啓
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最低限のLP計測
久しぶりに自社LPの計測環境作ったら疲れたので自分への備忘録です。たまにの作業っていつもやり方忘れて調べ直しちゃうんですよね。
実際にはこんなことなかったのですが対代理店を想定して書いてみました。対昔の自分ってところですね。
前提
基本的には無償ツールであるユニバーサルアナリティクスとGoogle Tag Managerを利用する。他ツールは各種ツールと接続性が悪く管理が手間になる。何よりもできる限りお金はかけたくない。お金を払わず手を動かす。これど現場の基本です。それやりたくないとか言う人とはお仕事しないほうが身のためです。
スクロールのトラッキング
ペライチLPのときどうやって評価するんだ。直帰率?ペライチだって言ってんだろ。
これ使えば一瞬で取れるんだからそれくらいは知っててほしい。
リマケするならこの程度のデータは駆使してマーク蓄積しましょっかくらいは言って欲しい。そのためのブロードならもしかしたら許せるかもしれない。
他にも記事LPやコンテンツであれば秒数と掛け合わせて流し読みユーザーと分けましょうくらいは言って欲しいところです。
各種ボタンの計測
スクロール用のボタンってどのくらい触られてるか気になるもんです。
GTMでClassIDもしくはClickIDあたりを取得すればいいんだ。GTM単体でできる以上イベント用のタグ埋めてくださいとかは言わないで欲しい。
フォームのトラッキング
送信後の内容は別にいらないんだ。こっちで管理してるんだから。
フォームにどこまでフォーカスがあたったかなんだ重要なのは。フォームが長すぎてもよおして離脱したことないんですかあなたは。
ぎりぎりせめぎあう中で長いのか短いのかが知りたいんだこっちは。
コンバージョンのトラッキング
正直できて当たり前なのです。コールだってなんだっておまかせくださいっすよーくらい言って欲しい。
事実昔よりかなり簡単になってるんだから。
番外編:ヒートマップもしくは監視ツール
金かけるならこれはまだありだと思う。ヒートマップはGAのプラグインあるけど微妙っちゃ微妙だから。
煮詰まった時ほど定性的な情報が一番大事だと思います。
ただ初動で持ってくんなよ信頼作ってから来い。
君の売上を立てるために存在してるわけじゃないんだこっちは。
僕のちかくからは以上になります。
できる逆引き Googleアナリティクス Web解析の現場で使える実践ワザ240 ユニバーサルアナリティクス&Googleタグマネージャ対応
- 作者: 木田和廣,できるシリーズ編集部
- 出版社/メーカー: インプレス
- 発売日: 2015/03/19
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【書評】人工知能の核心
人工知能の核心
最近藤井聡太四段の登場によって何かと話題の将棋業界ですが、僕の中ではやはり将棋の棋士=羽生善治さんです。
羽生さんの著書はどれもわかりやすく、思考について学べるので愛読しています。その中で人工知能への言及が最近多くなっているの感じていたので本著の発売はとても楽しみにしていました。
読み進める中で「学習の高速道路」という言葉が気になったので書いていきます。
学習の高速道路化
羽生さんはAIが普及するにつれて起き得ることとして「学習の高速道路」を挙げています。以下引用します。
もう一つ、私が重要だと感じているのは、「学習の高速道路」の問題です。 これはインターネットが登場した頃からよく話していることですが、本質的には将棋ソフトや人工知能についても同じことが言えるでしょう。 もし人工知能のプログラムを使えば、超高速で効率良く学習できるとわかったとします。すると今度は、誰もがそのルートで学んでいくはずです。「高速道路」が目の前にあるのに、わざわざ「一般道」を走る人は少ないと思うからです。
ただ、私が最も強く懸念しているのは、この「学習の高速道路」を走るなかで、大量の情報を得ることに追われて、かえって自分の頭で課題を解決する時間がなくなっていくことです。 実のところ私は、今の若い棋士たちの、未知の局面に出合ったときの対応力が少々落ちている気がしています。
学習にあたり、近道をするということが果たして本当にいいことなのかという問いを羽生さんはここで投げかけています。
要は、皆が皆最適化された道を歩むことで生じる弊害はないのか?ということです。
これは個人的にもここ数年よく感じることで、結局百戦錬磨のベテランの域にはショートカットして学んだ自分の知識ではかなわないということがよくあります。
かなわないといっても全部が全部できないわけではありません。なんなら大枠に関してはほしい結果に対して、文明や技術さえ進んいればできてしまいます。
差が生じるのはどちらかというと細部なのです。
百戦錬磨のベテラン
この記事にとても共感しました。
fromdusktildawn.hatenablog.com
何文か引用します。
新しい技術、新しい分析手法、新しいビジネス手法、新しい開発手法、新しい経営手法のほとんどは、まるっきりゼロから生まれるなんてことはなく、たいていは巨人の肩の上に生まれる。そして、すでに何十年も掛けて巨人の肩の上によじ登り終わったおっさんは、ほんのちょっと手をのばすだけで、すぐに新技術の果実を掴み取れる。これに対してまだ巨人の肩の上に乗っていない若い人は、そもそも巨人の肩の上によじ登るところから始めなければならない。彼らにとって、新技術は、気の遠くなるような彼方にある。
それに、そもそも「技術はすぐに陳腐化するから、おっさんの知識は古くて使えない」というのは、半分本当だが、半分はウソだ。陳腐化してゴミになる知識もたくさんあるが、陳腐化せずに蓄積していく知識も膨大にあるのだ。「いまからシステム開発を始める若い人は、RDB、オブジェクト指向、デザインパターン、正規表現、並列プログラミングなどという時代遅れの知識を学ぶ必要はない」とはならない。
それどころか、むしろ、既存技術を深く理解して使いこなしている人の方が、新技術をきちんと理解し、うまく使いこなすことは珍しくない。NoSQLが流行りだしたとき、それがはっきり現れた。RDBを十二分に使いこなし、そのメリット・デメリット・限界を知り尽くしている人間の方が、NoSQLの意味を素早くかつ的確に理解したし、効果的に使いこなせていた。RDBの理解が浅い人間の方が、そもそもなぜ、どんなところにNoSQLを導入すべきかを見誤ることが多かった。
例えば、家を建てるにしても、石から削って建てる人とお家キット(そんなものないけど…)を使った人では、身につくスキルの幅が違います。
お家キットを利用した人は時間軸の近道はできるものの、いつまでもオリジナルの家を建てられませんし、キットの外の指示が来た時に応用が効かなくなります。
これは自分にも当てはまることで、分析の際、先達のRのコードは使えますが、何かで詰まると解決までものすごく時間をロスしてしまいます。
これは何故この成り立ちでコードが成り立っているかを理解しないまま、作業をすすめているためです。
巨人の肩に手が届いているのではなく、所詮巨人の手のひらに転がされているのです。
学習の一般道をあえて走る
結局ビジネスの現場でこういうことが起きてしまっていると考えると、羽生さんの考える「学習の高速道路」化という問題は既に起きていると言えます。
神は細部に宿るとよく言いますが、日々学習し先人の知恵に少しでも近づかないといつまでもその場しのぎに流行り言葉に流される一方だと思う今日この頃です。
自分の場合、ちゃんと数学とプログラミングを一般道から勉強しなさいよってことですね。とほほ。
僕のちかくからは以上になります。
お化け屋敷に一回ゴールから入ってみたい
最近マンガアプリでよくマンガを読みます。
「紙のジャンプなんてもう重くて読めないわ!」なんて華奢なことを言い始めそうな勢いです。
読んでいく中で、各社キーコンテンツにグロテスクなホラー・サスペンスを置いてることが気になり、ちょっと何個か読んでみました。
実はあんまりグロ系の描写好きじゃないんですけどね…。
見つけた仮説
そして一つ仮説が立ちました。
(´-`).。oO(グロ系の漫画ってなんで読み進めちゃうんだろうって考えたら、ただただオチが知りたいだけね。出口のないお化け屋敷入るのが嫌なのね)
— コマさん (@4GEKI) 2017年7月15日
グロ系のコンテンツはお化け屋敷なのです。
入り口でお化けが登場し、うぎゃーとか言いつつ数々のアトラクションを乗り越え、最後まで行き着きたい一心で読み進めていくのが楽しいのです。
(グロ系作品はその最後が腑に落ちない作品が多いことも分かり始めたのですが…)
そう考えると、連載中なら心配ありませんが、完結作品だとひねくれてる人間は最初と最後だけを読みそうです。
そう、「オチだけわかればいいやー」と言い『ONE PIECE』と『HUNTER x HUNTER』を途中で読むのを辞めたあなたのことです。
一本道にしないこと
単行本であれ、アプリであれ、マンガの話数を読んでもらうことが売上につながります。
つまり、そういうひねくれた人たちに過程を読ませたほうが得になります。
その結果、「え?なんでこいつ仲間になったの?」とか「あれ?主人公死んだの?」みたいな展開が生じることになり、そのような作品のほうが熱狂的なファンが多い気がします。
当然意外性を仕込むだけが全てではありません。
最終的に物語がつながる伏線を張り巡らせることが必要になります。叙述トリック的にする必要はありませんが、最終話を「今」としたとき「過去」が、気になる仕掛けが必要になるということかなと思います。
現に、『ONE PIECE』や『HUNTER x HUNTER』のように伏線だらけと言われてる作品であれば、連載終了後確実に読み返す必要性が生じるでしょう。
そういった作品は、出口までが複雑化しているため、結果として話数を読んでもらえる作品となり、稼げる作品になると仮説立てることができます。
一方書いていて思ったのは『水戸黄門』のような勧善懲悪の「お決まりのパターン」がほしい時もあるよねということです。それに関してはまた今度書こうかなと思います。
僕のちかくからは以上になります。
【書評】終電ごはん
最近食べ物とスポーツと広くとってコンテンツにしか興味ない気がしてきました。分野的にまあまあ稼げる気しないですが、消費経済はなんとか回せそうです。苦笑。
健康でありたい
さてさて、時短×料理に目がない私は話題の『終電ごはん』読んでみました。
最近のトレンドはもっぱら「健康的な暮らし(だけど手はかけたくない)」だなあと思っていて、常に健康的でいたい自分としては喜ばしい限りです。
というのもなんで自炊するかというと、自分の場合単純で外食続くと色々身体が壊れ始めるからです。
片頭痛&群発頭痛持ちかつアトピー持ちで肌弱い、ちょっと食べ方間違えるとすぐ寝込みますし、肌ボロボロになります。
ニキビもできやすくて、ポテチ食べるとすぐニキビできます。
ニキビなんてあってもなくてもたいして変わらない顔立ちですが、自分の心象的にはないほうが心地よい。
そんなら自分で多少の手間惜しんでそういうものが生じにくそうな食べ方をしようとそういう考えでございます。
※外食でも場所選べば大丈夫だと思います。友達少ないと食べるところも限られる。血涙。
食に第三の選択肢の登場?
読んだ感想としては、難しくはないけど、意外と一品一品手かかってるなという印象です。
本当にずぼらな人や料理したこと無い人は真似出来ないかなーと思いますが、料理嫌いではないけど毎日は作れない…くらいの人であればちょうどいいくらいの難易度ではないでしょうか。
ただ本当に面倒な人はこれとか使えばいいんじゃないかなと思ってしまいます。一回飲んでみましたが、割と美味しいですよ。
ただ何となく人道に反してる気持ちがしてしまいうのはなんででしょうかね。
こういうのがメイン食になる日ってくるのでしょうか。
『採用基準』の伊賀泰代さんも食文化変わると仰ってるみたいですね。
クックパッド社に”ちきりん”が社外取締役就任で広がる混迷|やまもといちろうコラム - デイリーニュースオンライン
これを読むとデリバリーが主流になるか、今のずぼら飯が続くか、って感じかと思いますが、第三の文明の利器としてこういうcompみたいなものがくるのか…。
まあ食べないより食べたほうが絶対いいしできることから始めましょう、それで身体壊れなきゃOKだと思う次第です。
個人的にはあたたかいごはんが食べたいので『終電ごはん』ありです!
僕のちかくからは以上になります。
中間のコンテンツ論
コンテンツのちかくに
最終的に何がやりたいかなと最近よく考えますが、どんな形であれコンテンツの近くにいたいと思っている気がします。
一社目に入る時に本が書きたいと宣って、当時の社長に「いやいまから書けよ」と言われ、「僕の人生にはストーリーがないからこの会社の創業期を書かせてくれ」と言った記憶があります。
僕自身もいま思い出したので、誰も覚えてないでしょうが。
結局いま自分のストーリーを書いてるので、結局先祖還りして戻ってきたなという気がします。ブーメランブーメラン。
ストーリーはいつもちかくに
何故そう思ったかというと、恐らく大学時代数々の映像作品の近くにいたからだとは思いますが、授業で観せられる映画のほとんどはストーリーが逸脱しててつまらんかったなという印象があります。
余談ですが、僕は人生で最高につまらんかった映画はと聞かれたら、大学の授業で見た『デッドコースター』を挙げるでしょう。
それに比べて通学電車で読む小説は面白いこと。古典文学もそれなりに読みましたが、どちらかというと東野圭吾等の商業性の高い作家の本をよく読んでいたなと思います。
その時からどこか商業性のない創作物には違和感を感じていたような気がします。
かと言って、MARVELや三池崇史が撮るような商業性のみに特化した映画が好きかというとそうでもありません。
なんというかその「中間」が好きでそれってどこなんだろうなとずっと思っていて、その過程で広告の中間具合に嗜好が寄り添っていったのかなと思います。
広告は誰のちかくにもある
SONYのこの広告は最高にかっこいいです。
Sony Bravia Ball Bounce Commercial
言ってしまえばこのCMはストーリーらしいストーリーはないのですが、”Color like no other”で全てが言い表されてしまう潔さが粋です。
この「誰にでも伝わる」かつ「芸術性が担保された」コンテンツという部分にものすごく惹かれた記憶があります。
映画はちかかったり、とおかったり
つまらなかった映画に共通してたのは「分かるやつに分かればいいよ」というスタンスです。
たしかにそういう映画はカット割りをかなり凝っていたり、現場のスタッフのリソースがかかったものだったりします。
ただ、観るものとしては学習しないと享受できるであろう芸術性とやらが殆どわかりません。
一方、いまの商業性の高い映画は出版物を原作とした実写化がメインです。
どの作品にも共通しているのは、キャスティングで話題性をとって、コストをかけたCGやロケ地で大味にまとめあげるというところです。
もちろん一定の収入が見込めるものの、その殆どは”原作レイプ”とファンから揶揄されています。
収益重視の観るに堪えない作品ばかりが集積されて、大箱の映画館の上映作品の質自体は落ちてしまっているなと思います。
ただそのくらいじゃないと生き残れないんだろう映画館のお財布事情もひしひしと伝わってきます。
「中間」のちかくにいたい
僕の中で好きなのは「中間」という気持ちは変わりません。
「噛んで味が出る」ではこの可処分時間の奪い合いの世の中へのマッチングが悪く廃れていく一方だと思います。
一方「大味にまとめた」作品だけが増え続けるのもどうなのでしょうか。
それこそがコンテンツだと思われるとしたら寂しいものです。
「うちの子は映画を観られない」と仰っていた方がいました。
「見る(観るに非ず)」習慣がYouTubeから始まっているから我慢出来ないそうです。
それはそれで映像を学んだ身として、問題を感じます。
コンテンツには必ず「中間」があるのです。
…と偉そうに宣いながら先日実写版の『銀魂』観て普通に面白かった僕です。
僕の近くからは以上になります。
コミュニケーションの中で生まれるバグ
イクラはガバッと食べたい
鮭の卵であるイクラの話をします。
ノリスケさんのお子さんの話ではないのであしからず。
イクラって一気に食べたほうが美味しいですよね。
一粒一粒箸でつまんで日本酒をクイッといくのが粋だと言う方がいるのは理解できるものの、飲み始めはやっぱりガバっといきたいです。
先日居酒屋に複数人で行った時の話です。
「おすすめメニュー」にイクラ刺盛り合わせがあったので頼んでみました。
「おすすめ」と打ち出すくらいですから、おそらく最初のオーダーで頼む人が多いメニューではないでしょうか。
少しすると、「これは緋色の宝石箱やー」といった具合に盛られたイクラが運ばれてきました。
これは美味しそうだと垂涎の思いだったのですが、宝石箱を開ける鍵であるスプーンの姿はそこにはありませんでした。
「すいません。スプーン持ってきてもらっていいですか?」
とお願いしたところ、ちょっとしてからスプーンが1つだけ運ばれてきました。
これではスプーンで皿に取り分けてから一粒一粒を箸でつまむことになります。
そうなるとガバッといきたい僕の要望は永遠に満たされないのです。
結局もう一度店員さんを呼んで、人数分のスプーンを用意してもらいました。
僕らはいつの間にか()を定義をしている
おそらく店員さんは皿に取り分けるための手順を満たすため、スプーンが必要だと捉えたのでしょう。
僕の読み取ってほしかったのは、
「(人数分の)スプーンを(いくらを一気に食べるために)持ってきて」
という自分の気持ちの部分である()内の部分です。
プログラミングの世界だとこのような定義が明確にされていないと意図した通りに動かなかったかったり、止まってしまったりします。
要は、バグが生じるということです。
僕は非エンジニアなのでコードを書くことはほぼないのですが、分析でも「背景」から読み取った「ノイズ」を潰していく作業が必要になります。
この背景で理解できているかどうかが分析の精度を上げていく上で必要になることだと考えています。
適切な解を出すことで実際に行動をおこしてもらうことが重要だと考えているためです。
行動にバグを生じさせない
イクラの話でいくと、店員と客双方に障害が生じています。
店員はもう一度スプーンを取りに行く必要があり、僕らは店員さん呼び戻す間、目の前のイクラがお預けになります。
お互いの一連の行動の流れに一種のバグが生じているということです。
ただ、日本の接客業は過剰サービスとも言われます。
サービス料をもらってるわけではないのに、色々しすぎだと。
それはそれで正しいと思います。僕も「お客さん」のときは多くを求めません。
ただ、自分が人を動かす場合は別です。
ミスコミュニケーションが生まれてしまうと、大きな損失につながることも考えられます。
行動のバグが生じないように日々()の中を読み取り、()を作らない意思を人と関わる上ではもっておきたいと思う次第です。
僕のちかくからは以上になります。
統計学は揺らぎを許容して振れ幅を示してくれる
現実は揺らぎのなかにある
僕なんかが統計学を語るのは100年早いと自負しているのですが、少しでも統計学をかじると物事が俯瞰して見えるようになると思います。
それである種の諦観を覚えたりするので、少し冷めてるように感じられることも多々あるのですが、そこにデータさえあれば大体のことは統計学に沿って説明ができます。
(その説明するための手法を学ぶのが大変なのですが…)
フライドポテトを考える
統計学入門としてよく聞く、フライドポテトの話があります。
うろ覚えで書くと以下です。(※下部に参考リンクあり)
問題です。フライドポテトが10本で20センチになりました。では、100本ある時全体の長さは何センチになるでしょうか。
A.200センチ
…と答えてしまうのは算数の世界です。
統計学はもう少し現実世界に即していて、「ポテト1本の長さが2センチである」ことが定義されない限り、1本あたりの長さに誤差が生じる可能性があると考えます。
実際に、ファーストフード店に行っても、ポテトの長さが均一なことはないですよね。
僕はファーストフード店で働いたことはないのですが、大量生産大量販売の商品を高速でさばくと考えた時、基準と成り得るのは1パッケージあたりの「重さ」だと思います。
このようにオペレーションを鑑みると、1本1本の「長さ」の精度を求めているのは難しいのではないかと仮説を立てることができますね。
あとは実際の数字から証明していけばいいのです。
データ抽出後は検定かけてもいいし、偏差値求めてもいいしヒストグラムだして終わりでもいいしとやり方は色々あると思います。
物事を一元的に捉えてしまうのは危険だけど…
現実はこのような「揺らぎ」の中で成り立っています。
算数の考え方のように、一つの法則に対して、答えは一つといった一元的な成り立ちではないのです。
ビジネスの場で答えを一つに絞り込み、言い切ってしまう人がよくいます。
ある種ビジネス本では鉄則として語られている手法ですが危険な場合も多々あると思います。
金銭が絡む場合は特にそうで、誰もが損をしたくないと考えています。
もし過去に言い切った通りになったとしても、次にそのようになる保証はありません。
ましてや同じ要素が揃うことは機械と機械でもない限りほぼありえません。
ただ、統計学を用いて分析の精度をあげていく作業はキリがなく時間はいくらでもかけられるというのも事実です。
また、組織としてアナリストやデータサイエンティストが意思決定に携わっていることもまだまだ少ないといった背景から言い切りが良しとなってる側面はあると思います。
下振れはまずいが上振れは良しとなる
USJのハリーポッター誘致の例が最近だと有名な例かもしれません。
確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力
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簡略的に書くと、ハリーポッターの誘致にあたって、データサイエンティストの予測が最後の一押しとなり誘致したところ、結果としてそれを上回る集客に成功したというデータを使った意思決定の好例です。
ここで注目してほしいのは予測に対して「上振れ」していることです。
言葉選ばず言い換えれば、現実世界では「誤差」が生じたということですね。
著者の今西さんが、分析者として少し弱めの読みで意思決定者である同著者である森岡さんに提示したという旨を残しています。
森岡さんから直前に提案がありました。お互いに手のひらに信じている数字を書いて「せーの」で見せ合いましょうと。そして先述したその幅の中で思案した結果、本当の現実的な予測を220万と考えていた私は、手のひらに敢えて保守的で低めの「210万人」と書いたのです。そしてお互いに見せ合いました。彼の手のひらには太くはっきりと「240万」と書かれてあったのです。お互いにニヤッとしました。彼は「200万は固い」と踏んだのでしょう。
ここまでの過程で自分では到底扱えない数式や思考法が数多く使われています。
読んでいて勉強になりっぱなしでした。
それをおいても、どんなに精度高く分析をかけても現実という「揺らぎ」の中で最大最小の間で「振れ幅」が生じるということがわかったことが最も収穫だったかもしれません。
(同時に弱めに読むのって自分だけじゃないんだと安堵もしました。)
言い切るのもあながち間違いではないのかもしれない
言い切る姿勢のいいところは、必ず行動が生まれることです。
諦観した上でせせら笑っていても、何も行動は生まれませんし現実は変わりません。
どんなに時間をかけて分析しても外れる時は外れるというのは天気予報をみれば明らかです。
ただ、USJの例のように社運をかけた莫大な資金がかかる意思決定は統計の力を使って振れ幅を踏まえた上で実施有無の判断するのが望ましいかなと今は思います。
統計をかじり、現実の揺らぎを知ったからこそ思うことの一つです。
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